痛みと暑さと寝苦しさとで、ほぼほぼ眠れず、手術後1日目の朝を迎えた。


朝6時。看護師が採血にきてくれた(2回失敗されたけれどもムキー

 

さらに、

・心電図

・血栓予防の機械

も、もう大丈夫ですから~とあっさり取り外された。

 

(↑地味に血栓予防の機械音がうるさく、これが眠れなかった原因のひとつだった)

※意外と私、神経質なタイプなの笑い泣き うんうん。

 

歩行確認が終わると、尿の管も抜かれた。

 

あーーーーいろいろなものから解放されてスッキリ~~花花花

 

 

ドレーンの除去は、先生が来てからね、ということで、

カラダに繋がっていた管がほぼ無くなり、

身も心もスッキリし、昼前に自分の病室に戻って来られた。

 

すぐに鍵をかけていた引き出しを開け、携帯をチェック。

 

あーーー会社の●●さんからLINE来てる!

会社には午前中で手術終わるって言っていたから、心配していただろうな。

(私が終日携帯を触れないことを知っておけば前もって

伝えておけたのに!ワタシのバカ野郎!泣き笑い

 

急いで私は元気です、と返信(全然元気じゃないけど泣

続けて旦那や両親、姉、旦那の両親など心配してくれた人に急いでLINEを返す。

 

今日から院内自由と言われたけれども、

いやいや、まだまだ痛くて動けないぞ。

どうしよう。

 

そして、私が入院でとっても恐れていたことが…ついに…

 

 

 

※2日ぶりに食べた昼食。食べられるって幸せだ!

 

 

続く→

 

 

1時間後、検温や介助に来た別の看護師さんに、

「すみません…アイスノンお願いしたんですけど…まだ来なくて…熱いです…」

と死にかけのヨボヨボ声で訴えた爆笑爆笑爆笑

 

傷口から熱が出るのか、なかなか熱が下がらず、

点滴を追加投入してもらい、様子を見ることにした。

 

腰も痛みが一向におさまらない。

「傷口より腰が痛い。痛み止めも打ってほしい」と看護師に伝えたが、

腰痛にはあまり効果がないから…ということで

少しでも痛みが軽減すれば、とマットを持ってきてくれた。

 

 

私も痛みが和らぐ態勢を探ったり試行錯誤しながら、

こういうときに知恵と工夫で何とか生き抜こう(大袈裟爆笑)とするのが

人間の凄いところだな、なんて思ったりした。

 

19時ごろ、ベッドの上で1人で痛みと戦っていたとき、

カーテンの向こうから「●●さん」と声がした。

主治医の先生(女性・吉田羊似)だった。

 

・筋腫の場所が尿道に近く、手術が大変だった。

 終了予定より1時間半ほどオーバーしたこと

・でも無事に腹腔鏡で手術できたこと

・一般女性が子宮が100g程度、でも私のは40gだったこと

・代わりに筋腫が700gもあって、合計740gを取り出したこと

・膣から取り除く予定を変更し、左のお腹の穴を少し大きく開け、取り出したこと

 

など、ひととおり手術内容の全貌を伝えてくれた。

 

その言葉を聞いて、無事に終わったことと、先生の優しい口ぶりに安堵し、涙が止まらなくなった。

(うん、43歳にもなって、人前で泣きすぎだよね笑い泣き笑い泣き笑い泣き

 

先生(吉田羊)は、「泣くと目が腫れてブスになるわよ!

明日その腫れた顔をまた見に来るわ、アハハニコニコ」と笑った。

やっぱりこの先生好き飛び出すハート飛び出すハート

 

 

私が「私の子宮筋腫、どんなのでしたか?」と聞くと、「うん、見ないほうがいいわ」と。笑

続けて先生に「子宮筋腫が740gだったってことは、体重1キロも減ってないってこと?」と

アホな質問をしたら

 

「そやね。全然痩せてへんねぇ」

とキッパリ不安不安不安ガーンガーンガーンガーン

 

 

最後に腰をもんでくれたり、10分ほど会話をして、吉田羊は去っていった。

不安だった気持ちが少し落ち着き、よし、今夜は横のおじいちゃんと一緒に頑張ろう、

早く元気になって自分の病室に戻ろう!

と気力がわいてきたのであった。

 

 

続く→

 

 

中学校の体操服のゼッケン。

スナップボタンしかダメ。

毎年付け替えせなあかんらしい。


あの〜、関係者の方、

中学生ママは毎日鼻ほじって

ぼんやり暮らしているとでも?


こんなにスナップボタン付けるの大変やとは。


全国の新中学生ママ、お疲れ様です。

 

 

 

 

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手術後、自分の病室に戻ると思っていたのだが、

どうやら術後当日は看護師の介助が必要なため、

ナースステーション近くの病室に移動するらしい。

 

おそらく説明を受けていたよね…

きっと…。私が聞いていないだけ爆笑

 

 

部屋の構図はこんな感じだった。

 

 

カーテンを隔てた側に、おじいさん(推定70代)がいた。

看護師との会話からして、私より少し前に、お腹の手術を終えたばかりのようで、

痛みと戦っているようで、つらそうなことだけは分かった。

(看護師に点滴だけは絶対にもうやりたくない!と訴えていてちょっと可愛かった笑

 

--

 

カラダには、いろいろなものがついていた。

 

・心電図

・お腹の管(ドレーン)

・点滴

・血栓予防の機械

・尿の管

 

あらゆる管がベッドの周りに散らばっているため

踏んづけてしまわないか心配で、身動きが取れない。

 

つらかったのが、傷口はもちろん、それ以上に腰の痛みが強烈だった。

割れるような痛みというのだろうか。

 

もともと腰痛持ちだったのもあるが、

そもそも子宮筋腫が13センチあり、MRIの結果を見ても

背骨を押しのけているような状態で筋腫ちゃんがお腹の中でのさばっていたから、

腰痛の原因を生み出していたのだと思う。

 

加えて、5時間近くも手術台で同じ姿勢でいたら、

そりゃ腰も悲鳴をあげるわな。

 

痛みを和らげるために寝返りを打ちたいんだけど、

自力では難しく、看護師に介助を求めながら、右へ、左へと向きを変える。

心電図側に向きを変えると、時間が見えてしまう。

一向に進まない時刻を見ると気持ちが下がってしまうので、

極力心電図とは反対側で横になるようにした。

 

1時間に1回、看護師が様子を見に来てくれ、検温をすると38.4度。

背中が焼けるように熱い。

 

2回目、看護師が見回りに来てくれたときに、

振り絞るように「背中が熱いです。アイスノン欲しいです」と言った。

 

「ちょっと待ってね、持ってくるわ」とパタパタと看護師が出ていった。

30分待ってもアイスノンは来なかった…悲しい悲しい悲しい

 

続く→

 

 

手術室に付いた。

私のほか、3人が手術を控えていたよう。

みんなの表情を見たら、意外と淡々としていたけど、

ま、人それぞれ手術の内容も違うし、当たり前か。

 

紙の帽子をかぶるように指示され、いよいよ手術室へ。

ドラマさながらの雰囲気に、能天気な私もいよいよ緊張してきた。

 

※イメージ

 

手術台に乗り、手術着を脱ぐように指示される。

手術着の紐をほどき、上半身をはだけさせた。

 

その後、本人確認と、手術名の確認をされた。

 

「子宮全摘出です」と答えると、

「プラス卵管もね」と看護師から突っ込まれ、

あ、はい。卵管もです、と付け加える。

 

--

 

その後、酸素マスクを当てられ、、、

 

意識が戻ったのは、

旦那の「終わったで、よく頑張ったな」という声。

 

あぁ、手術終わったんや…

なんて人ごとのようにぼんやりとしていたら、

 

続けて、旦那がこう言った。

「ちょっと時間かかって大変やったみたいやけど、お腹切らずに済んだで」

 

目を開けることすらできない意識朦朧の状態だったけど、

その言葉を聞いた瞬間、涙があふれてきた。

 

あぁ良かった。最後の最後まで、開腹の可能性もあると聞いていたから

それは致し方ない、了承のうえで手術に臨んだのだけど、

それでもやっぱり、お腹は切りたくない、という想いがあった。

 

涙に気づいた旦那がポンポンと肩を叩き、昼から仕事があったため

「ごめん。もう俺仕事行くな。また連絡する」とだけ言って旦那は病院を後にした。

 

 

次に意識が戻り、左右を見渡すと、自分の病室ではなかった。

ここ、どこなんだろう、と思って唾を飲み込もうとしたが

とにかく、喉がやけるように痛い。

加えて、いまだかつてない腰の痛み。

腹部の激痛。

 

これは動けない。

 

 

このあとの、地獄の1日を私は忘れない。

 

 

続く→

 

朝6時。

 

浣腸を行う。

看護師から「浣腸してから5分待って。待てなければトイレ行ってもいいよ」

と言われ、液体を注入された。

 

……ごめん。全然5分も待てないんやけどゲロー

なんとか頑張って3分くらい我慢したけど、無理無理。

トイレに駆け込もうと急いだが…間に合わず、、、

漏れた(出ちゃった昇天)のはココだけの話爆笑爆笑爆笑

 

そして、渡された手術着に着替え、「アルジネードウォーター」を2本飲む。

「アルジネードウォーター」とは、手術当日は絶食のため、栄養補給用のドリンクのこと。

 

 

「ポカリの苦い感じで、あんまり美味しくないけど」と看護師さんに言われたけど

お腹空いていたので、何でも美味しく感じる照れ照れ照れ

 

そして、血栓予防のためのストッキングを履く。

 

 

そして、髪を2つくくりにして、1時間ほどボーっとする。

 

9時。看護師から「そろそろ行きますか」と言われ、いよいよ、手術室へ…。

(このときはまだそこまで緊張していない能天気さ昇天

 

続く→

 

 

 

 

前日まで仕事の引き継ぎ等でバタバタで、

入院準備すらままならない状態。

でも、それよりも一番気がかりだったのは我が子のことだった。

 

我が子に寂しい思いをさせたくない。

しばらくの間、一緒にいれないけれど、

私の料理で寂しい気持ちが紛れるのであれば…

 

そんな母ゴコロから、餃子、ハンバーグ、豚キムチ、そぼろごはん、

オムライス…と出発ギリギリまで作り置きのおかずを作って、冷凍庫へ放り込む。

 

そしてあっという間に出発時刻に。

私はいつこの家に戻ってこれるんだろう…

そんな思いを胸にスーツケースを手に家を飛び出した。

 

大阪駅で母と落ち合い、病院までの道のりを付き添ってもらう。

コロナでまだお見舞いや面会もNGなので、ただただ病院まで一緒に行くだけなんだけど、

少しだけ心細かった私の心がやわらいだ。

ありがとうお母さん飛び出すハート

 

--

 

入院フロアに案内され、4人部屋へ案内された。

その後、ネームバンドをつけられ、手術当日の流れを看護師から説明を受ける。

 

(ネームバンドを付けられると患者感があってワクワク照れ

 

最後に、看護師にこう言われた。

 

「手術前日、緊張や不安で眠れない人のために

希望者には睡眠薬をお渡ししているんだけど…●●さん、大丈夫そうね」

 

……なんていうか、ちょっと失礼じゃない?悲しい不安悲しい不安悲しい不安ガーン

 

と思いながら、前日までバタバタと働いていたため、

その日はびっくりするくらい熟睡できた私。

(どんな場所でも眠れる、順応性抜群な女キメてる

 

--

 

入院初日のごはん。フライものに大興奮!!

(でもこの晩御飯以来、フライはもう味わうことはなかった…)

 

 

 

すっきりとした目覚めで、いよいよ手術の時を迎える。

 

 

続く→

 

 

年末からのダイエット生活。

飽き性のため、少々サラダばかりの毎日に嫌気がさし、

アルコールを飲んでみたり、脂たっぷりのステーキ食べてみたり。

でも暴飲暴食しても、次の日には切り替えられるようになった。

 

それは「手術を無事成功させるため」。

ただ、それに尽きる。

 

3月下旬、手術前の最後の検診があった。

体重は年末からマイナス6キロ。

 

 

ほんとうはもう少し頑張りたかったけど、それでもよくやったと褒めてあげたい。

 

そして、先生から手術の具体的な内容を教えてもらった。

「腹腔鏡でいけそうですね。でも、MRIでみると、●●さんの子宮筋腫は尿道に近く、

筋腫を取り除く際に尿道を傷つけてしまう可能性がある。

なので、手術の際にどうしても(腹腔鏡での摘出が)難しい、と判断した際には

開腹もありえます。そこだけご理解いただきたい」という話だった。

まだ100%安心、ということではなさそう。

 

同意書にサインをした。

 

--

 

そして刻一刻と迫る手術日。

ワーママとしてフルタイム勤務で働き、管理職である立場なため、

チーム運営のこと、業務の引き継ぎのことなど、考えることが山ほどあった。

 

それに加えて、頭を悩ませたのが家庭のこと。

年末から入院期間は伝えていたものの、旦那の仕事の調整がむつかしく、

2日~3日ほど子を1人にさせなければいけないタイミングがあった。

 

近くのママ友を頼るか、遠方の母を頼るか。

 

子にも相談した結果、あまり接触のない両親よりも、友達のところに行きたい、

ということで、同じマンションのママ友に相談。

 

日帰り出張などでも子を見てもらったり、夕飯をごちそうになったりと

いつもお世話になっているが、今回は日数も多く申し訳ないな、、と思いつつ、LINEで相談をした。

 

返事は「え、そんなん全然OKやで!いつでも泊まっていって!」

 

いつも思うのだが、私は人には恵まれている。いや、恵まれすぎている。

 

逆の立場になったとき、こんなに快く引き受けられるものだろうか。

私もこんなふうに誰かが困ったとき、手を差し伸べられる人になろうと誓った。

 

入院期間の段取りもつき、いよいよ4月、入院日を迎える。

 

続く→

 

 

 

年末にダイエットを命じられた私。

 

先生から●キロ痩せろ、とは言われなかったが

おそらく標準体型を目指すなら、6~8キロは頑張らないと。
30代で出産し、そこから年々体重は増加傾向。

産後太り…と言い訳もできない年齢に差し掛かり、もう40代。

 

戻らない体型に嫌気がさしていたので、

ここは本気でダイエットに向き合うチャンスだと思った。

 

まず決めたのは、無茶はしない。

食事制限は過去の経験上、絶対に続かないので、

 

・ベジファーストを徹底(コンビニの袋サラダに助けられた!)

・アルコールは我慢(飲みたいけど…えーん

 

の2点だけ。でも、絶対にきめたことは守ろう!と誓った。

 

 

年末年始も暴飲暴食をせず、実家での豪華な食事も極力見ないように…驚き

1月末の検診時には、マイナス4キロを達成。

先生に「すごい!頑張ったね」と言われてひとまずホッ。

 

そして先生から一言。

 

「あまり無理しすぎない程度に、引き続き頑張ってね」

 

(だよね、まだ痩せろってことよね~泣き笑い泣き笑い泣き笑い泣き笑い

 

ダイエット生活、まだまだ続きます。

 

 

続く→

 

 

 

 

2つの病院から開腹手術は難しいといわれ、

市内にある病院へと足を運んだ。

 

腹腔鏡の手術実績も多く、口コミの評判もそこそこ良い。

正直、ここで(腹腔鏡が)ダメと言われたらあきらめるしかないか、と

腹をくくって診察を受けることに。

 

先生は女医さんだった。

眼鏡をかけてキリっと吉田羊みたいなサバサバタイプ。

(私の好きな女子のタイプなのラブ飛び出すハート

 

聞き上手な先生で、これまでの経緯をたくさん話した。

こんなに洗いざらい喋って大丈夫かしら?と思ったけど、

この先生にならいろいろなことを話せる、そんな安心感があった。

 

診察を受けて、最後に、こう言われた。

 

今から3カ月ほど薬を飲んで、子宮筋腫が小さくなれば、

腹腔鏡手術が可能です。3か月後の筋腫の大きさをみて、判断しましょう。

 

でも、もし小さくなったとしても、確実に手術を成功するためには

いくつかの条件があってね。(手術に適している人、というべきか)

 

・出産経験がある人※

・身長が160センチ以上ある人

・痩せている人

 

なんです。

※手術の際、腹腔鏡を入れ炭酸ガスを注入し腹部を膨らませるため、出産経験のある人のほうが
膨らみやすいそうです。あと痩せているのは、脂肪みっちりの体形よりも内部に余白のあるほうが

手術しやすいだそう…そりゃそうだえーんえーんえーん

 

 

そして、一呼吸おいて、

先生は私の全身をまじまじと見てこう言った。

 

〇〇さん。手術までに痩せましょう。

 

は、はい…ガーンガーンガーンガーンガーンガーンガーンガーンガーンガーンガーンガーンガーンガーンガーン

 

 

それが2022年12月末のこと。

 

そこから翌年春の手術に向けて、私の鬼のダイエット生活が始まった…

 

 

続く→