6/7(金) 鎌倉大仏 | そんな感じ。 since March 28, 2005

そんな感じ。 since March 28, 2005

日常生活の中で、ふと感じたこと。

関心したこと。

その時の感性のおもむくままに気ままに書き留めています。

2024年06月07(金) 曇時々晴

【横浜】最高気温 27.2℃ / 最低気温 19.8℃

 

長谷寺から10分弱歩いて、大仏で有名な高徳院に到着。

 

参拝券(300円)

鎌倉大仏って、国宝だったんだ!

(国宝指定は、昭和33年(1958年))

 

鎌倉大仏は子供の頃に見に来たような記憶があるけど、大人になって来たのは始めてかな。

 

10:38

高徳院は外国人観光客と修学旅行の学生で大賑わい。

 

大仏(銅造阿弥陀如来坐像)は、1252(建長4)年から10年前後の歳月をかけて造立されたとみられる。

角張った平面的な面相、低い肉髻(にっけい、頭髪部の椀状の盛りあがり)、猫背気味の姿勢、体部に比して大きな頭部など、鎌倉期に流行した「宋風」の仏像の特色を示している。

 

10:40

大仏の丸い背中と窓。

背中側から頭部がまったく見えないのは、大仏様は猫背で、頭部が前傾しているから。

 

せっかく来たので50円の拝観料を払って、大仏様の胎内に入ってみました。

狭い階段を上って、30人で満員の空間に出ました。

 

10:43 背中にあった窓を、胎内から見上げます。

 

真上には、首に繋がる空洞が見える。

 

像が大きいので、30回以上に分けて鋳造しているのですが、内壁の大きな格子模様は、そのために「鋳型」を多数並べ、重ねたことを示しています。

 

 

昭和の大修理の際に、大仏から試料を採取して材質調査をおこなったところ、金属の含有率は、銅68.7%、鉛19.6%、錫9.3%で、成分比率から宋から輸入された宋銭が使用されたと推定されているそうです。

 

貨幣博物館で、和同開珎を発行した後、日本では銅が取れなくなったので、平清盛が宋銭を国内で流通させ、平氏政権の財政基盤の裏付けとし、又、宋銭を溶かして、銅としても使っていたと知ったけど、鎌倉の大仏様は宋銭で出来ていたとは知らなんだ~~~。

だから「宋顔」なのね~。(えっ?)

 

 

10:46

1960年(昭和35)文化財保存の見地から「昭和の大修理」が行われ、頭部を補強するために頸部に強化プラスチックERPが塗布され、地震対策として、本体と台座の間にステンレス製の板が敷かれています。

 

右頬のあたりにわずかに金箔が残っているらしいけど、遠目にはよくわからなかった。

 

こめかみのあたりに金箔がありますかね。

それにしても、四角いお顔(うふっ)

 

暑くなってきたので、休憩がてら、これからランチに行きます~♪

 

(つづく)