5/21(火) 国宝 唐獅子図屏風 | そんな感じ。 since March 28, 2005

そんな感じ。 since March 28, 2005

日常生活の中で、ふと感じたこと。

関心したこと。

その時の感性のおもむくままに気ままに書き留めています。

2024年05月21日(火) 曇のち晴

【横浜】最高気温 28.2℃ / 最低気温 17.2℃

 

国宝 唐獅子図屛風

(右隻)狩野永徳 / 桃山時代 16世紀 / 紙本金地着色

(左隻)狩野常信 / 江戸時代 17世紀 / 紙本金地着色

 

左隻は永徳のひ孫の狩野常信が補作。

旧萩藩主・毛利元徳(もとのり)の献上品。

 

今回の展覧会の一番の目的がこちらの「唐獅子図屛風」。

過去に一度見たことはあったけど、写真が撮れるのは所蔵している三の丸尚蔵館での展示だけ。

やっぱり写真が撮れるとなるとテンションが上がります♪

 

 

(右隻)狩野永徳

「豪壮・華麗」とも評される桃山絵画を代表する作品としてして教科書にも掲載されている有名な作品。

以前見たことがあるのに、「えっ、こんなに大きな作品だったの!?」と驚いた。

その大きさも「豪壮・華麗」だ。

渓谷をのし歩く獅子の脚が太く、爪が立派で強そう。

 

(左隻)狩野常信 

顔もひょうきんだけど、ぴょ~んぴょんと跳ねるように軽快に走る獅子がお茶目すぎる~。

背景の滝や木々も永徳のような鬱蒼とした重々しさがなくて、ライトな感じ。

ひいおじいちゃんの永徳が夫婦の獅子を描いたから、左隻はパパとママに向かって走る子どもの獅子を描いたのかな。

 

狩野常信(1636年-1713年)は、狩野元信・狩野永徳・狩野探幽とともに四大家の一人とされ高く評価されている絵師だし、父の尚信が没した後、伯父の狩野探幽に画を学んだといわれているので、永徳ひいじいちゃんと同じような「豪壮・華麗」な画風でも描けたと思うんですよね。

安土桃山と元禄の時代性とか、流行していた文化が反映されて、ちょっとライトで可愛い系の作風になったのではないかと感じます。

 

安土桃山時代は、織田信長と豊臣秀吉が政権をにぎった激動の30年間。(1573(天正元)~1603年(慶長8)

(安土桃山時代の始まりは諸説ありますが、織田信長が足利義昭を奉じて京都に上洛した永禄11年(1568年)、終わりは美術史的には1644年とするのが一般的。)
秀吉が「天下統一」を成し遂げ、国内情勢が安定しつつあり、海外からも多くの文化が入ってきた。

城も実用的な砦より、権力を見せつけるような豪華絢爛な天守を持つ城が、次々に建てられた。
築城の流行とともに発展したのが、天井やふすまの「障壁画」で、狩野永徳をはじめとする絵師は、金銀をふんだんに使った華やかな障壁画を描いた。


元禄文化は、元禄年間(1688年 - 1704年)前後の17世紀後半から18世紀初頭にかけての文化。
農村における商品作物生産の発展、都市町人の台頭による産業の発展、経済活動の活発化を受けて、文芸・学問・芸術の著しい発展をみた。
浮世草子の井原西鶴、俳諧の松尾芭蕉、浄瑠璃の近松門左衛門、芸術分野では尾形光琳や浮世絵の始祖といわれる菱川師宣があらわれた。

 

『狩野永徳法印筆』

 

「パパ~、ママぁ~」