看とりまで辛かったこと | 膵臓ガン4b 母を看取るまで

膵臓ガン4b 母を看取るまで

知り合いが膵臓ガンで亡くなった縁で膵臓ガンブログを拝見していましたが、自分の母親が膵臓ガンになってしまいました。2年間、肝転移ありで戦い抜いた母の最期までを記録します。

絶対母が死ぬのはイヤ!と告知された時から思っていました。

けれど2回目の余命宣告をされたときは、もう逃れることができないと腹を括ったと思います。

食べれなくなったのは、本当に死の3日前。1週間前はしゃぶしゃぶ。チーズやおにぎり。バナナ。もう飲み込みが難しくなっていたけど、生きるために、食べていました。
最後の方ではタバコも嗜んで。

なので見ていて辛かったことは、母がもう自分の力で歩けなくなってしまったこと。
そして身体中がアザだらけになって、会話も子供みたいになってしまったこと。
本当にたまらなかった。

本当に介護って辛いんです。命を賭けてもいいほど最愛の母でも、何度も起こされるとイライラしちゃうんです。それが未だに辛くていつも謝っています。

自分だけはそんなことないって思っていたのに。
生理の辛さも重なって。

きっと今在宅看護されている方もいるかと思います。すごく大変だと。
後悔のないようには難しいと思いますが、少しでも多くの方に協力してもらってください。

昼から夕方は近所の人の激励や、看護師さんや介護士さんがきて凄くホッとしていたのを覚えています。

それでも、夜は妹と二人だけだったので非常に心細かったです。
眠ったままになったのも、夜中からでした。その時はもうパニックで。
でも麻薬を初めて入れた夜だったから、きっと朝起きたら目が開いてる!との希望をもって仮眠をとってしまいました。
その時七時まで寝てしまって。。
朝、もう呼び掛けても寝たまま。
ああ、もうお別れなの?と悟った瞬間でした。

本当に最後の1週間がきちんと思い出せないんです。。

何でだろう。。