亡くなるまでの数週間① | 膵臓ガン4b 母を看取るまで

膵臓ガン4b 母を看取るまで

知り合いが膵臓ガンで亡くなった縁で膵臓ガンブログを拝見していましたが、自分の母親が膵臓ガンになってしまいました。2年間、肝転移ありで戦い抜いた母の最期までを記録します。

こんばんは。
今思うと、本当に早い。これがすい臓癌なのかと恐ろしさを実感しました。

もう一度辛くても、忘れないうち記録をしておこうと思い書きました。

ここから先は辛い内容なので、ご理解くださる方のみお読み下さい。


1/25 母とあそびにいく。帰りはタクシー使わないと息切れが辛いとのこと。
これが母との最期の外出になった。
この頃から、すぐに寝てしまう。眼が黄染されている気がするが、主治医はビリルビンはそこまで高くないとのこと。

2/6  貧血がひどくなったと母。痛みなし。心拍数平常時でも100-130。買い物に徒歩で行く途中、冷や汗が吹き出し座り込む。救急車と思ったけど家が目の前にあったので近所の方の助けで家まで戻る。便を漏らしてしまう。それでも回復したとの事で母は最期のトイレ掃除を始める。

2/8 前から貧血のため、輸血の予約ありの為病院受診。看護師さんが母のお腹を見て、少しお水がたまってるようだとのこと。母に自覚なし。足のむくみが顕著、主治医は貧血のせいだとの事。心拍数の高さは貧血の為では、とのこと。痛みなし。

2/12 定期受診日前日。
いつも通り、シャワーを一人で浴びる。いつもは輸血すると体が元気になるが今回は効果が感じられないとぼやく。シャワー中転倒しないよう見張っていたが、嫌がったので目を離す。
これが最初の後悔。もうこの頃肝性脳症が起きていた母は、着替えるときに足をマットに絡ませ転倒し足の指を二本骨折してしまった。この晩は痛みがないとのことで、捻挫だというので、明日の受診日まで冷やして対応する。

2/13 病院受診日。足が腫れ上がり、歩けないとのこと。友人に車で送ってもらい車イスにて採血及び受診。気持ちは元気。呼ばれて診察室に入るなり、足の骨折のことより採血結果が良くないとのことでその場でエコー。
画像を見るなり先生が「肝臓が癌だらけ。腹水もかなりある。もう1ヶ月もたない。」
と母と一緒に2回目の余命宣告を受ける。体が固まってしまった。母は、「仕方ないけどギリギリまで頑張る!お母さんが死んでも泣くなよ」と私に言う。
三日後に今後の診察のことや最期の看取りの場所を決めるため、再度受診。主治医は通える限りは診ますと言ってくださったが、もう近いうちに体が動かなくなるとの宣告。
痛みはないので、薬はいつもの甲状腺の薬と睡眠薬のみ。
そのあと、整形外科へ。
母の骨折は結構派手に折れていた。自然にくっつくのを待つだけと言われ、テーピングと添え木で固定して治療終了。母だけ看護師さんが、何か理由をつけて先に待合室に連れていく。
残された私は、整形外科の先生から「カルテから引き継いでいます。本来なら通院してもらいますが、時間がないとのことなので、本人の体を考えてこれ以上処置はしません。」と言われて初めてもう母は死ぬんだなと実感する。

涙を堪えて、待合室に行くと母は気持ち良さそうに車イスでうたた寝していた。

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