緩和ケアに対する少し後悔 | 膵臓ガン4b 母を看取るまで

膵臓ガン4b 母を看取るまで

知り合いが膵臓ガンで亡くなった縁で膵臓ガンブログを拝見していましたが、自分の母親が膵臓ガンになってしまいました。2年間、肝転移ありで戦い抜いた母の最期までを記録します。

お久しぶりです。更新なかなかしていないのに読んでくださる方本当にありがとうございます。

今日は緩和ケアをについて思うところがあり書こうと思います。

私の近所は、高齢者が多いのでお世話になった訪問看護ステーションの車を毎日のように見かけます。

その度胸が抉られます。

そのステーションを選択したのは、病院からの紹介でした。母の病状が1日単位で悪くなったので選択する余地はありませんでした。
看護師さん達はめちゃくちゃいい人ばかりで、オムツや医療器具も無料で下さったり感謝しています。
その一方で、後悔している事もあります。
亡くなる3日前から、夜になるとおしりの傷を痛がったり、心不全でしたので胸が苦しいと訴える事もありました。
そこで看護師さんに電話するのですが、最初に色々ステーションの事情を聞きすぎてしまって、夜中に電話するのを躊躇ってしまう事もありました。でも何とか来ていただきましたが。。
ただ最期の日だけは、もう呼び掛けても眠っている母だったのに呼べませんでした。
その前日、訪問入浴の直後、看護師さん達が帰って直ぐ息苦しさを訴えてすぐとんぼ返りして頂きました。結果バイタルに異常はなかったのですが、
その時看護師さんが
「本人、肝性脳症だから、苦しくないのに苦しいって言ってるだけだと思うから、そのまま様子見でいいから。(呼ばなくていいよ)」と言ったんですね。だからこそ、最期の夜の異常、気付きつつも電話できず朝まで過ごしてしまいました。
こんなときなのに、迷惑かな?とか思う自分がいて。
緩和ケアにたいする期待値が大きすぎたのも良くなかったかも、と今では思います。

緩和ケアを導入したときはまだ自分でご飯も用も足せたのに、たった1週間で急変。
訪問医も、驚きの早さでした。今までがゆっくり過ぎて。。
本当にその時をただ待つのみでした。
だから、母に申し訳がない気持ちが一杯です。

きっと苦しかったんだと思います。
母は滅多に痛いとか言わなかったから。。。