お城へ行こう! - 上田城
日本には現存12天守といわれ、その名のとおり古くから現在まで残っている12の天守閣があります。以前紹介した、犬山城もその一つですが、残念ながら多くのお城は明治維新の後廃城令により、解体されてしまい、お堀や城壁のみが姿をのこしています。
現在にして思えば、物凄く残念なことでありますが、日本が揺れ動いた江戸末期から明治にかけては、この「お城」そのものが政府に対しての抵抗勢力の根城となりうる危険性もあったのですから、当時としては数百年後の事や建設技術継承などは無視して解体するより他なかったのかもしれません。
さて、随分と前の話となってしまいましたが、GWを利用して上田に行ってきました。
上田といえば、真田幸村に真田の庄。歴史好きな人であれば、いやいや真田幸村の親父昌幸が凄かったとか、子孫を残すために徳川と豊臣の天下二分を先読みして、息子2人も二つの勢力に分けた、大阪の陣での真田幸村の活躍がすばらしかったなどと、この一族の話題だけでお茶が飲めるくらいでしょう。
多くの人が思い描いた様に、僕も池波正太郎の真田太平記を読み、この上田という街をに興味をもった1人です。
念願かなって訪れた「上田市」。
僕のおすすめはいきなり上田城を訪れるのではなく、まずはこちらを訪れて気持ちを昂らせてはいかがでしょうか?
その名も
「池波正太郎真田太平記館」
(なんだか、アメブロってhtmlを編集するのが面倒くさいですね。)
いまは草花が咲き、慰霊碑がのこるのみとなった本丸跡を見物した後に、真田の歴史の中でも新しいこの上田城から、真田一族が住んでいたとされる真田の庄に足を運ぶ事にしました。
「強者共が夢の跡」
真田の庄は上田の街から北部に20分ほど車を走らせた高台にあり,いまは「ゲートボール」を楽しむ高齢者でにぎわっていました。それも時の流れというやつなのだと、自分を理解させるので精一杯。
ゲートボール場の横の居住跡には真田神社が。その脇には清水が流れており、こちらは心持ちの良い場所でした。 この辺りには、まだまだ見所はあるとおもいますが、娘を茅野の実家にあずけての半日では、上田城と周辺を堪能するので時間オーバーとなりました。ただ、帰り際に偶然通った路に、日本のへそと呼ばれる「生島足島神社」に行くことができたのは大変喜ばしい事でした。
ここまで詳しくないですが、外国の方が旅をする一助になればと、こちら でも上田城を紹介しております。
現在にして思えば、物凄く残念なことでありますが、日本が揺れ動いた江戸末期から明治にかけては、この「お城」そのものが政府に対しての抵抗勢力の根城となりうる危険性もあったのですから、当時としては数百年後の事や建設技術継承などは無視して解体するより他なかったのかもしれません。
さて、随分と前の話となってしまいましたが、GWを利用して上田に行ってきました。
上田といえば、真田幸村に真田の庄。歴史好きな人であれば、いやいや真田幸村の親父昌幸が凄かったとか、子孫を残すために徳川と豊臣の天下二分を先読みして、息子2人も二つの勢力に分けた、大阪の陣での真田幸村の活躍がすばらしかったなどと、この一族の話題だけでお茶が飲めるくらいでしょう。
多くの人が思い描いた様に、僕も池波正太郎の真田太平記を読み、この上田という街をに興味をもった1人です。
念願かなって訪れた「上田市」。
僕のおすすめはいきなり上田城を訪れるのではなく、まずはこちらを訪れて気持ちを昂らせてはいかがでしょうか?
その名も
「池波正太郎真田太平記館」
お城までの行く途中、車であれば、柳町という格子の家並みが美しく残る道も風情があって
おとずれる価値はあると思います。僕はこの通りの外れにある「おお西」という所でおそばをいただきました。この辺には幾つもおそば屋がありますが、長野のおそば100選的な資料でこの「おお西」がのっていたのと、解りやすかったという理由で選びました。
上田城に車で向かうと、櫓門の下側の駐車場に辿り着きました。ここから、徳川に攻め込まれても数千の兵隊で守りきったといわれる上田合戦を想像しながらこの城を巡る事にしました。
櫓門と左右に復元された櫓が見える場所。
六文銭が真田の家紋ですが、彼らはこれを六道銭と表現しました。おとずれる価値はあると思います。僕はこの通りの外れにある「おお西」という所でおそばをいただきました。この辺には幾つもおそば屋がありますが、長野のおそば100選的な資料でこの「おお西」がのっていたのと、解りやすかったという理由で選びました。
上田城に車で向かうと、櫓門の下側の駐車場に辿り着きました。ここから、徳川に攻め込まれても数千の兵隊で守りきったといわれる上田合戦を想像しながらこの城を巡る事にしました。
櫓門と左右に復元された櫓が見える場所。
(なんだか、アメブロってhtmlを編集するのが面倒くさいですね。)
いまは草花が咲き、慰霊碑がのこるのみとなった本丸跡を見物した後に、真田の歴史の中でも新しいこの上田城から、真田一族が住んでいたとされる真田の庄に足を運ぶ事にしました。
「強者共が夢の跡」
真田の庄は上田の街から北部に20分ほど車を走らせた高台にあり,いまは「ゲートボール」を楽しむ高齢者でにぎわっていました。それも時の流れというやつなのだと、自分を理解させるので精一杯。
ゲートボール場の横の居住跡には真田神社が。その脇には清水が流れており、こちらは心持ちの良い場所でした。 この辺りには、まだまだ見所はあるとおもいますが、娘を茅野の実家にあずけての半日では、上田城と周辺を堪能するので時間オーバーとなりました。ただ、帰り際に偶然通った路に、日本のへそと呼ばれる「生島足島神社」に行くことができたのは大変喜ばしい事でした。
ここまで詳しくないですが、外国の方が旅をする一助になればと、こちら でも上田城を紹介しております。
古都へ行こう!- 金沢編
地方にいったら歩く!を基本に活動しております。とはいえ、みたい場所が散らばっている時は、バスなどを利用しなければなりませんが。
その点、金沢という場所は比較的歩いて何処にでもいけるので、数日の宿泊でも大変満足の行く旅となりました。
金沢といえば、21世紀美術館に日本三庭園の一つである兼六園がありますが、今はもう城壁とお堀他再建された菱櫓や五十間長屋に16世紀終わりからの前田 利家公が築いた加賀百万石に思いを馳せることができるので、北陸の人気の観光地であることは言わずもがなでしょう。
僕が行ったのは夏。とにかく暑い。金沢駅からバスにのって1時間あま
り、漆器の街輪島にいく道のりは、かつてスペインのセビリヤ(セビージャ)からグラナ
ダに南下したときを思い出させるくらいに外はオリーブの木々が植えられていそうなカラっとした猛暑でした。
輪島の朝市は見物だといわれながら、連日猛暑の中で歩き体力を消耗している僕には難しく、昼前に到着。すでに市は終了しており、町中はすこし淋しげ。で も、そんな輪島の蔵づくりの街並をあるくのは最高に気持ちがよく、ふと入った蔵のカフェでは、素敵な漆器でカフェオレを飲み生き返った心地がしたことが印象的です。
金沢の街を歩いて、僕が感動したのは2つのエリアと1つのお店。
一つは、忍者寺といわれる妙立寺へいく、川のほとり。香林坊等のエリアをぬけて真直ぐ歩いて行くと、犀川をのぞむ開けた地域になり、この橋を越えたところから、お寺が立ち並ぶ地域になります。忍者寺をみて、その歴史を味わった後、川沿いを歩くとまったりとした気分になります。
もう一つは「東茶屋町」。東京に暮らしていると、なかなかこういう古い建物が並ぶ景観をみることに飢えてきます。かつて遊郭だったこの街には格子戸があり、かつて着流しで男衆がワクワクしながら歩いていたのかとなんだか楽しくなります。今は整備されて、かつ、様々なショップが中に入っています。裏通りのカフェなどに入ると、夏は涼しげで大変心地よかったことを思い出します。
さて最後はお気に入りのお店。それはみず飴の俵屋さん。
ここは、祖母が昔から大好きなみず飴(ここではじろ飴と呼ばれています)があるということで、「かってこい!」という指令の元に足を運びました。
昔ながらの風情のある建物。外は猛暑なのに、中に入るとひんやりとして買い物がてら足を休めます。
他でも手に入るのかもしれませんが、この本店に足を運ぶことは結構おすすめです。
最後に、兼六園に行ったら是非「成巽閣」にも足を運んでみてください。
兼六園について英語でココ で紹介してみました.。名庭だけに桜も名所なんですね。情報集めて初めて知りました。
その点、金沢という場所は比較的歩いて何処にでもいけるので、数日の宿泊でも大変満足の行く旅となりました。
金沢といえば、21世紀美術館に日本三庭園の一つである兼六園がありますが、今はもう城壁とお堀他再建された菱櫓や五十間長屋に16世紀終わりからの前田 利家公が築いた加賀百万石に思いを馳せることができるので、北陸の人気の観光地であることは言わずもがなでしょう。
僕が行ったのは夏。とにかく暑い。金沢駅からバスにのって1時間あま
![こだまんのタビログ](https://stat.ameba.jp/user_images/20100426/10/tapman/50/00/j/t02200165_0600045010512385222.jpg?caw=800)
輪島の朝市は見物だといわれながら、連日猛暑の中で歩き体力を消耗している僕には難しく、昼前に到着。すでに市は終了しており、町中はすこし淋しげ。で も、そんな輪島の蔵づくりの街並をあるくのは最高に気持ちがよく、ふと入った蔵のカフェでは、素敵な漆器でカフェオレを飲み生き返った心地がしたことが印象的です。
金沢の街を歩いて、僕が感動したのは2つのエリアと1つのお店。
一つは、忍者寺といわれる妙立寺へいく、川のほとり。香林坊等のエリアをぬけて真直ぐ歩いて行くと、犀川をのぞむ開けた地域になり、この橋を越えたところから、お寺が立ち並ぶ地域になります。忍者寺をみて、その歴史を味わった後、川沿いを歩くとまったりとした気分になります。
もう一つは「東茶屋町」。東京に暮らしていると、なかなかこういう古い建物が並ぶ景観をみることに飢えてきます。かつて遊郭だったこの街には格子戸があり、かつて着流しで男衆がワクワクしながら歩いていたのかとなんだか楽しくなります。今は整備されて、かつ、様々なショップが中に入っています。裏通りのカフェなどに入ると、夏は涼しげで大変心地よかったことを思い出します。
![こだまんのタビログ](https://stat.ameba.jp/user_images/20100426/10/tapman/80/00/j/t02200165_0600045010512385223.jpg?caw=800)
さて最後はお気に入りのお店。それはみず飴の俵屋さん。
ここは、祖母が昔から大好きなみず飴(ここではじろ飴と呼ばれています)があるということで、「かってこい!」という指令の元に足を運びました。
昔ながらの風情のある建物。外は猛暑なのに、中に入るとひんやりとして買い物がてら足を休めます。
他でも手に入るのかもしれませんが、この本店に足を運ぶことは結構おすすめです。
最後に、兼六園に行ったら是非「成巽閣」にも足を運んでみてください。
兼六園について英語でココ で紹介してみました.。名庭だけに桜も名所なんですね。情報集めて初めて知りました。
京都へ行こう!− 閉ざされた場所編
CMでも素敵な映像が興味をそそる「京都」。ズンチャッチャ♪ ズンチャッチャ♫ そうだ京都へ行こう!を見て、京都の三千院や南禅寺をしり「行きたい!」と思ったのは、僕だけでしょうか?
仕事関係でもプライベートでも何度も足を運んでいる京都。その奥深さと世間一般で言われている所の閉鎖的社会というのは、なかなかに大変でした。ようは、なかなかコミュニティーに入っていけないという点。
京都にある株式上場を考えるベンチャ-企業を担当することになりアポイントをとっていた頃は、それこそ門前払いだったのですが、現地で活躍するコンサルタントに気にいられてからというもの、人の輪が一気に広がりました。一見さんお断りという表現は適切ではありませんが、誰かの紹介でないと辿り着けない企業が非常に多くありました。さらに、「京都をもっと知ってもらいたい」という先方に連れていかれた場所も、いままでみた事・聞いた事が無い場所でした。
例えば、南禅寺のそばにある野村美術館。この美術館裏側にはすばらしい庭園が広がっています。野村別邸ともよばれるここは、碧雲荘といわれ通常非公開です。外国から某女王がここをみたいと訪れたときも、予約がはいっていないという理由で断られたのだとか。
そんな場所に、行く機会は突然やってきました。中に入ると、案内役の方が隅々まで説明くださいます。池泉回遊式のお庭ですから、中心に池があり、その周りにさまざまな工夫がされています。そして、能の舞台あり、池に浮かんだ船の形をした茶室があり、庭の石1つまで意味があったり。奥深いというどころの騒ぎではありません。ここを皆さんに案内できなくて残念ですが、この碧雲荘のWEBがありました。お時間あるときにどうぞ。
碧雲荘のWEB
もう一つ。とある甘味処のお話。お店の中にはいれば、普通の和のカフェという雰囲気でした。そこから、知人を介して二階へ案内されると・・・・・・そこには、一階の敷地の面積からは考えられない程広く、床もピカピカ。そして、立派な能の舞台がありました。知る人ぞ知るというか、地元の人々のための能を楽しむスペースなのだそうです。
そんな、皆さんもそして僕ですら今後見る事が機会が無いであろう場所を紹介してもしょうがないと思われるかもしれませんが、観光するときに「実はこんな所にも隠された何かが?」的に見て回るのもおもしろいのかなと思っています。
碧雲荘については、紹介出来ませんでしたが、僕が海外の旅人向けに作っているサイトでは、野村美術館について若干触れています。 よかったらご覧下さい。>> Nomura Art Museums
仕事関係でもプライベートでも何度も足を運んでいる京都。その奥深さと世間一般で言われている所の閉鎖的社会というのは、なかなかに大変でした。ようは、なかなかコミュニティーに入っていけないという点。
京都にある株式上場を考えるベンチャ-企業を担当することになりアポイントをとっていた頃は、それこそ門前払いだったのですが、現地で活躍するコンサルタントに気にいられてからというもの、人の輪が一気に広がりました。一見さんお断りという表現は適切ではありませんが、誰かの紹介でないと辿り着けない企業が非常に多くありました。さらに、「京都をもっと知ってもらいたい」という先方に連れていかれた場所も、いままでみた事・聞いた事が無い場所でした。
例えば、南禅寺のそばにある野村美術館。この美術館裏側にはすばらしい庭園が広がっています。野村別邸ともよばれるここは、碧雲荘といわれ通常非公開です。外国から某女王がここをみたいと訪れたときも、予約がはいっていないという理由で断られたのだとか。
そんな場所に、行く機会は突然やってきました。中に入ると、案内役の方が隅々まで説明くださいます。池泉回遊式のお庭ですから、中心に池があり、その周りにさまざまな工夫がされています。そして、能の舞台あり、池に浮かんだ船の形をした茶室があり、庭の石1つまで意味があったり。奥深いというどころの騒ぎではありません。ここを皆さんに案内できなくて残念ですが、この碧雲荘のWEBがありました。お時間あるときにどうぞ。
碧雲荘のWEB
もう一つ。とある甘味処のお話。お店の中にはいれば、普通の和のカフェという雰囲気でした。そこから、知人を介して二階へ案内されると・・・・・・そこには、一階の敷地の面積からは考えられない程広く、床もピカピカ。そして、立派な能の舞台がありました。知る人ぞ知るというか、地元の人々のための能を楽しむスペースなのだそうです。
そんな、皆さんもそして僕ですら今後見る事が機会が無いであろう場所を紹介してもしょうがないと思われるかもしれませんが、観光するときに「実はこんな所にも隠された何かが?」的に見て回るのもおもしろいのかなと思っています。
碧雲荘については、紹介出来ませんでしたが、僕が海外の旅人向けに作っているサイトでは、野村美術館について若干触れています。 よかったらご覧下さい。>> Nomura Art Museums