お城へ行こう! - 上田城 | こだまんのタビログ

お城へ行こう! - 上田城

日本には現存12天守といわれ、その名のとおり古くから現在まで残っている12の天守閣があります。以前紹介した、犬山城もその一つですが、残念ながら多くのお城は明治維新の後廃城令により、解体されてしまい、お堀や城壁のみが姿をのこしています。

現在にして思えば、物凄く残念なことでありますが、日本が揺れ動いた江戸末期から明治にかけては、この「お城」そのものが政府に対しての抵抗勢力の根城となりうる危険性もあったのですから、当時としては数百年後の事や建設技術継承などは無視して解体するより他なかったのかもしれません。

さて、随分と前の話となってしまいましたが、GWを利用して上田に行ってきました。
上田といえば、真田幸村に真田の庄。歴史好きな人であれば、いやいや真田幸村の親父昌幸が凄かったとか、子孫を残すために徳川と豊臣の天下二分を先読みして、息子2人も二つの勢力に分けた、大阪の陣での真田幸村の活躍がすばらしかったなどと、この一族の話題だけでお茶が飲めるくらいでしょう。

多くの人が思い描いた様に、僕も池波正太郎の真田太平記を読み、この上田という街をに興味をもった1人です。

念願かなって訪れた「上田市」。
僕のおすすめはいきなり上田城を訪れるのではなく、まずはこちらを訪れて気持ちを昂らせてはいかがでしょうか?
その名も
池波正太郎真田太平記館」

こだまんのタビログ-池波正太郎真田太平記館
お城までの行く途中、車であれば、柳町という格子の家並みが美しく残る道も風情があって
おとずれる価値はあると思います。僕はこの通りの外れにある「おお西」という所でおそばをいただきました。この辺には幾つもおそば屋がありますが、長野のおそば100選的な資料でこの「おお西」がのっていたのと、解りやすかったという理由で選びました。

上田城に車で向かうと、櫓門の下側の駐車場に辿り着きました。ここから、徳川に攻め込まれても数千の兵隊で守りきったといわれる上田合戦を想像しながらこの城を巡る事にしました。
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櫓門と左右に復元された櫓が見える場所。
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六文銭が真田の家紋ですが、彼らはこれを六道銭と表現しました。

こだまんのタビログ-六道銭

(なんだか、アメブロってhtmlを編集するのが面倒くさいですね。)

いまは草花が咲き、慰霊碑がのこるのみとなった本丸跡を見物した後に、真田の歴史の中でも新しいこの上田城から、真田一族が住んでいたとされる真田の庄に足を運ぶ事にしました。

「強者共が夢の跡」
真田の庄は上田の街から北部に20分ほど車を走らせた高台にあり,いまは「ゲートボール」を楽しむ高齢者でにぎわっていました。それも時の流れというやつなのだと、自分を理解させるので精一杯。

ゲートボール場の横の居住跡には真田神社が。その脇には清水が流れており、こちらは心持ちの良い場所でした。 この辺りには、まだまだ見所はあるとおもいますが、娘を茅野の実家にあずけての半日では、上田城と周辺を堪能するので時間オーバーとなりました。ただ、帰り際に偶然通った路に、日本のへそと呼ばれる「生島足島神社」に行くことができたのは大変喜ばしい事でした。

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ここまで詳しくないですが、外国の方が旅をする一助になればと、こちら でも上田城を紹介しております。