7月に入り
なんの変哲もない日常の中でも
心動かされることが多くある。
先週、熱海で起きた土砂災害。
ニュース映像を見るたびに苦しくなる。
災害発生当日
家が次々と泥水に飲み込まれていく
衝撃的な映像を何度もなんども
繰り返し流し続けるニュース番組。
その行為が人々の心に及ぼす影響を
3.11のときに学んだはずではなかったのか。
発生直後ということもあり
状況が気になりテレビをつけた結果
脳裏に焼き付くほど繰り返される映像に
苦しくて苦しくて仕方なくなってしまった。
私にとって熱海は
楽しくてあったかい思い出の詰まった地で
大切な友達が生まれ育った場所でもあるから
より一層に気掛かりで心が痛む。
Karaköy İstanbul
先日、仕事仲間の家族が亡くなった。
訃報を知った直後と翌日の本人の様子を
近くで見守っていたら
その昔、自分が体験したことを思い出した。
当時の私は読んで字のごとく
心を亡くしながら忙しく働いていて
迫り来る仕事の〆切日を前に
一段と追い込まれていた、ある日。
いつものように残業していると
祖母が救急車で運ばれ危篤状態であると
家族から連絡が入った。
突然の知らせに驚き慌てつつ
私は一体どうしたのかというと
しばらくの間、ひとり静かに迷っていた。
このまま仕事を続けるのか
投げ出して病院へ駆けつけるのか。
しばらく悩んだのち、答えが出ないまま
上司と同僚のもとへ行き報告をした。
仕事はそのままでいいから
すぐに病院へ行くよう言われてやっと
仕事を投げ出す選択をすることができた。
病院へ到着後
家族みんなで祖母を囲み
あーでもない、こーでもないと
祖母との想い出話に花を咲かせた。
そんな中、祖母は旅立っていった。
翌日、私は通常どおりに出社した。
その日も必死に仕事と向き合っていた。
ふとした瞬間に
「私、何やってるんだろう?」と
湧き上がって来る思いを押し殺しながら。
ひとりの人間が生涯を終えるその瞬間を
目の当たりにしたのは
そのときが初めてではなく、2度目だった。
1度目はまだ小さい頃。
当時同居していたおじいちゃんとふたり
部屋で遊んでいたとき
私の目の前で
おじいちゃんが倒れ息を引き取った。
突然動かなくなったおじいちゃんを前に
何が起きたのか分からなかった私は
別の部屋にいた母親のもとへ行き
「おじいちゃん、寝ちゃったよ?」
と言ったそうだ。
私自身、まだ小さかったこともあり
当時の記憶は全くないのだけど
おじいちゃんの名前から漢字一文字もらい
私の名前に受け継がれているし
私の誕生日の翌日に亡くなったという点でも
なんだか繋がりを感じている。
それから何十年か経ち
記憶がはっきりしてからは初めて
ひとりの人間が人生を終えるその瞬間に
立ち会い、見届けた。
(御犬様は2匹看取って来たけれど・・・)
残業中に知らせを受けたときの迷いや
翌日も休んで良いと言ってもらえたのに
仕事に行くことを選んだり
(行けばもちろん
忙殺されることは必至なわけで・・・)
「ねぇ、何やってるの?」
という心の声が聞こえてきては
「これでいいんだ。」と言い聞かせて。
日頃から誇り高く働いていたなら
納得!なのかもしれないけど
私の場合、そうではなかった。
当時は感覚が麻痺していたのだと思う。
3.11のときの経験しかり
祖母を亡くしたときの経験しかり。
自分の心の声を押し殺し
「責任感」を優先した経験は
その後の生き方を考えるきっかけとなった。
いまだに心の声を殺しがちな一面が
残っていることは自覚しているけど
少なくとも
仕事でそれをやることからは卒業した。
仕事となると
ナゾの責任感と厳しさが前面に出て来て
どこまでも根詰めがちなもので
そして、その状態の自分は
ハッピーではないし好きではないので
そうならぬよう
バランス感覚と心にゆとりを持つことを
日々、心掛けている。
チャイでも飲んでほっこりしましょ
心のままに書き出したら
なんだすっかり重くなっちゃった・・・Yo!
最近、ルンルン♪と心が動いたことも
いくつもあるんだけどなw
モカゲ行ってヨネさまとお話したり~
トルコ人の友達とランチしたり~
友達の赤ちゃんに会いに行ったり~
会えなくてもいろんな人とやりとりしたり~
考え過ぎてグルグルして嫌気がさしたり~←えw
そんなこんなで
東京は、そろそろ梅雨が明けそうです。
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