インスタみながら
カドゥキョイの街に脳内旅行していた
とある日のこと。
あ~、この写真いいわ~。
お、これもイイねぇ~。
そうそう、こういう写真すきだわ~。
と思った写真が
全部同じアカウントのものだった。
このアカウント、私のツボにハマる
写真がいっぱいだわ♡
そそくさとフォロー。
画になる写真というより
日常生活の何気なさ過ぎるひとコマを
切り取るスタイル。
そのスタイルから
カドゥキョイ在住者だと感じ取っていたけど
それ以上の情報は一切分からない。
なのに、アカウントを眺めているうちに
ひとりの人物が浮かび上がってきて
ドキドキそわそわが止まらなくなる。
えっ、ま、ま、まさか!
このアカウントの主、パリス母なんじゃ?!
なんだかんだ3回引越しして
4軒の家に住んだ、イスタンブール暮らし。
ひょんなことから住むことになった街
カドゥキョイをすっかり気に入り
結局、最初から最後までこの街にいた。
2番目に住んだアパートの窓からは
お向かいのアパートのサロン(リビング)が
丸見えだった。
(カーテンを閉めない主義?の一家だった。)
確か、父・母・娘の3人暮らしで
同居していない息子がたまーに現れる。
そんな家族構成だったかな?
これがね、トルコでよく見る
いわゆるゼンギン(お金持ち)な感じでね。
母(推定50代)・娘(推定20代前半)は金髪で
父(推定50代)も含め、3人ともガングロw
金髪にしろガングロにしろ
持って生まれた色なわけではなく
ステイタスでそうしているのだと思われる。
日本では金髪×日焼けは
ギャル・ギャル男の専売特許だけど
トルコ(のみならず、他の国でも)では
セレブのステイタスだったりする。
すでにリタイア済なのか
はたまた不労所得がたんまりなのか
平日・週末、昼夜を問わず
サロンにはソファーでくつろぐ父の姿。
そういえば、この父の存在が
とてつもなく心強かった一夜があった。
4年前の夏
クーデター未遂事件が起きた、あの夜だ。
娘は学生なのか社会人なのか・・・
想像するに、日本でいうところの
[家事手伝い]なのであろう。
親名義のクレジットカードを武器に
(↑あくまでもイメージ)
ブランド品で身を固めている。
なんか彼女、パリス・ヒルトンみたいだな。
こうして、お向かいの娘さんのことを
「パリス」と命名し
父親は「パリス父」、母親は「パリス母」と
勝手に呼んでいた。
年中小麦色肌なパリス一家だけど
夏場はもはや丸焦げ状態になる。
三方を海に囲まれているトルコ。
北は黒海、西はエーゲ海、南は地中海。
イスタンブール在住者でも
エーゲ海や地中海沿いの都市に
ヤズルックという夏用の別荘を持つ。
きっとパリス家にもヤズルックがあるのだろう。
カオスな都会の夏を抜け出し
エーゲ海だか地中海だかで優雅な日々を過ごし
丸焦げになり、帰って来るのだと思う。
視界に入る場所で繰り広げられる
パリス家劇場の公演を
1~2年の間、毎日見続けたあの頃。
きっとあちらさんも、窓越しにこちらを見ては
「あの平たい顔、なぜトルコに?」
とか思っていたと思う。
お互いに認識していたし
なんなら勝手に想像しまくってたけど
実際に話をしたことは一度もないまま
私は次の家へと引越したのだった。
話は戻って、インスタのアカウント主。
ちゃちゃちゃーっと見た感じ
主の顔が分かる写真はないものの
自宅と思われる場所から見た景色を
撮影した写真がいくつかあり
それが決め手となって、パリス母だと判明。
(探偵気質、はたまたストーカー気質?怖)
そういえば、お向かいに住んでいた頃
パリス母が窓から身を乗り出し
外の写真撮ってる姿、何度も見かけたな。
月日は流れ
パリス家のお向さんを卒業したあと
2軒のアパートで暮らし
トルコを離れ、日本で暮らす今
実に一方的な再会を果たした。
カドゥキョイを愛し(きっと)、知り尽くしている
パリス母目線の写真を見ては、東京で萌える私。
パリス母アカウントをフォローして
1ヶ月ほど経った、とある日のこと。
インスタを開くと
おびただしい数の「いいね!」に加え
パリス母からのフォロー。
うわっ、このアカウント!
うちの向かいに住んでた平たい顔じゃ?!
てな感じで、気づいたのかな?笑
互いの存在を認識しつつ
一度も会話をしたことがない関係性は
数年間の時を経て
「いいね!」をし合う関係性へと形を変えた。
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