私が生まれる前から大人になるまでの間、1999年に世界が滅ぶという内容の本が大ベストセラーになりまして、周囲でも結構信じている人がいました。1999年にはもう私は大人だったんですが、「どうせ世界はもうすぐ滅ぶから貯金は一切していない」という人もいまして、どん引きした覚えがあります。
それで、皆様御存じのとおりというか、今こうやってのんびりネットを閲覧していることから分かるとおり、1999年には何も起こりませんで。
あの時点で貯金ゼロだった人は今頃どうしているのでしょうか……。若いうちに1999年になったならまだ挽回できますけど、年がいって1999年を迎えた人はどうしたんでしょうね。あの本で人生が狂った人もいるのではないかしらと思います。まあ信じてあほなことをしたほうが悪いと言えばそれまでですが、あの本を書いた人も売り出した人も相当罪深いような気がします。
それでここからが本題なんですけど、今日のお題のとおり、日本語にはこのような未来の予測のことなどで使われる言葉で「ヨゲン」と読む「予言」と「預言」という二つの言葉があり、これらには日本語として明確な違いがあります。
どう違うかといいますと、デジタル大辞泉を見ますと、「予言」は「未来の物事を予測して言うこと。また、その言葉」、「預言」は「キリスト教で、神託を聴いたと自覚する者が語る神の意志の解釈と予告。また、それを語ること」とありますので、要は神の啓示的なやつが「預言」であると思っていればよいでしょう。
ちなみに、前置きで触れた本のタイトルには「予言」という言葉が用いられていました。私はあの本をちゃんと読んでいないんですが、日本語としては恐らく正しい使い方ですね。
なお、辞書ではキリスト教と限定されていますが、用字用例辞典ではそれ以外の宗教もオーケーみたいな書き方がされていますので、申し添えておきます。この辺はちょっと日本語としては曖昧な部分もあるのかもしれません。