「枯渇」 | ある在宅ワーカーのつぶやき

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みそっかす反訳者が、用字用例辞典(日本速記協会)の表記ルールにおける個人的な解釈についての記事を書いています。2020年4月半ばから新訂対応です。たまにテープ起こしについてのそのほかの話も。文中で引用している辞書はこちら→https://dictionary.goo.ne.jp/jn/

ちょっと前に「枯れる」と「かれる(×涸れる、嗄れる)」の使い分けについて記事にしました。

そこでは、「かれる」と表記する場合の意味として、感じたり考えたりする力が減って、出なくなる。また、必要なものが不足がちになる。枯渇する」(デジタル大辞泉より)があると記載をしました。

この場合の「かれる」は漢字で書くとすると「涸れる」ですが、その意味するところの「枯渇」は、辞書によると「涸渇」とも記載できますが、用字用例辞典では「涸渇」ではなく「枯渇」と表記することになっています。

また、同時に、「池などの水がほとんどなくなる」という意味のときの「かれる」も、漢字で書くとすると「涸れる」であると記載をしました。

つまりは、同じ意味の言葉で同じ漢字で書けるのに、用字用例辞典のルールでは表記に用いる漢字は異なるんですね。

 

例)梅雨に雨が少なかったので、ダムの水が枯渇(×涸渇)してしまいそうだ。

  梅雨に雨が少なかったので、ダムの水がかれて(×涸れて)しまいそうだ。

 

ただ、「涸」の字は、この字を用いるほかの言葉、例えば「出がらし」や「干からびる」でも平仮名表記となっているので、「涸」の字は使わないということで覚えてしまってもいいのかもしれません。(もちろん固有名詞等例外もありますが)