「酒折宮」の次の訪問先になります。>
当山は、開基武田信玄公が、
川中島の合戦の折、
信濃善光寺の焼失を恐れ、
<ちなみに「酒折宮」からは徒歩9分の距離です。>
永禄元年(1558)、
御本尊
善光寺如来像をはじめ、
諸仏寺宝類を
奉遷したことに始まります。
<258年前に再建された山門だとか・・・。>
板垣の郷は、
善光寺建立の大檀那
本田善光公葬送の地と伝えられ、
<立派な山門にして、立派な扁額ですね。>
善光寺如来因縁の故地に、
開山大本願鏡空上人以下、
<庭の梅が、実にチャーミングです。>
<これもご立派な石碑です。>
<如来さまが鎮座しておりました。>
慶長三年(1598)
信濃に帰座なさいました。
<本堂に入って、いきなりこのお方が
目に飛び込んできました。>
甲府では新たに、
前立仏を御本尊と定め、
現在に至っております。
<ただ者ではないお方なのでしょう。>
江戸時代には、
本坊三院十五庵を
< 「撫仏 (なでぼとけ)」ともいわれている
” びんつるそんじゃ”さまです。>
有する大寺院として
浄土宗甲州触頭を勤め、
<撫でると病気が治癒するそうです。>
徳川家位牌所にも
なっておりました。
<日本一の泣き龍だそうです。この足場に乗って拍手すると天井の龍が応えてくれます。>
豪壮な七堂伽藍は、
一度焼失いたしましたが
再建され、
< 建久六年(1195)尾張の僧定尊が、秘仏である
信濃善光寺の前立仏として造立した 御本尊の善光寺如来です。>
東日本最大級の伽藍として
広く知られております。
< 信州から引きずって運んだ「引き摺りの鐘」 だそうです。>
また、重要文化財五件
・県指定文化財四件、
<鎌倉幕府第三代将軍源実朝の、現存最古の彫像だとか。>
市指定文化財八件
をはじめとする
文化財の宝庫として著名で、
<それでここが”お戒壇廻り”です。>
<まったく視界の届かない闇の世界を巡るのです。>
その一部は宝物館等で
公開しております。
<暗闇を抜けるとそこは、明峰・富士山だった!(笑)>