愛知県西尾市の「殉国七士廟」の『殉国七士墓碑』を訪問慰霊致しました | ザ・ブルーズ・ナイト♪~イソノミヤを求めて~

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”イソノミヤ”とは?ギリシャ・イオニア地方のかつての自由で平等な気風の無支配都市であり、伊勢神宮内宮(磯宮)の古い呼び名のことです。

「JR岡崎駅」より
「IR三ヶ根駅」まで列車で10分。

 

「IR三ヶ根駅」より
徒歩1時間の距離にあります。

 

◆殉国七士墓碑

 

 

<碑 文>

表文:殉国七士墓



裏文:土肥原賢二
   松井石根
     東条英機
     武藤章
     板垣征四郎 
   廣田弘毅
     木村兵太郎
    

 

   東京青山
    石勝
    中村五郎〇

<碑 文Ⅱ>  

 

 

表文:米国の原子爆弾使用



ソ連不可侵條約破棄



物質の不足などにより



敗戰のやむなきに至った
日本の行為を

米中英ソ濠加佛蘭新蘭印比
十一ヶ国は

極東國際軍事裁判を開き



事後法によりて
審判し票決により



昭和二十三年
十二月二十三日未明 

土肥原賢二 松井石根 東条英機 
武藤 章 板垣征四郎 廣田弘毅 
木村兵太郎

七士の絞首刑を執行した



 横濱市久保山火葬場より
その遺骨を取得 して

熱海市伊豆山に安置していた
三文字正平辯護士は



幡豆町の好意により

これを三ヶ根山頂に埋葬し
遺族の同意と 

清瀬一郎 菅原 裕 雨辯護士等
多數有志の賛同とを得て

墓石を建立した


<現地を訪れた遺族、松井、板垣、木村夫人。>

 遥かに遠く眼を
海の彼方にやりながら

太平洋戰争の真因を探求して

恒久平和の確立に
努めたいものである


<第一回目の墓前祭:昭和35年年8月16日午前10時>


<祭主三文字正平、建墓代表林逸郎、
顕彰会代表三浦兼吉、友人代表荒木貞夫、

遺族東條かつ子、木村可縫、
佐藤次枝(東條英機令妹)、

地元側・牧野幡豆町長、三浦幸一議長、
小田特別委員長、

来賓として

中村勝五郎、同夫人、
隣接市町村長、

豊橋市より
郷友会鳥田元中将、

水野元少将、原与作等役員
・会員五十余名など参列。

また数百名の
一般参拝がありました。>




裏文:昭和三十五年七月十七日

 極東國際軍事裁判
 辯護圑スポークスマン

 辯護士 林逸郎 誌

       東京青山
        石勝
        中村五郎〇



謹んで
祓い、鎮魂を
行わせて頂きました。