◆追悼碑:大島浩獄中の書
●大島 浩(おおしま ひろし)
1886年(明治19年)4月19日
- 1975年(昭和50年)6月6日)
日本の陸軍軍人、外交官。
最終階級は陸軍中将。
<アドルフ・ヒトラーと握手をする大島氏(1942年)>
第二次世界大戦前から
戦中にかけて
駐ドイツ特命全権大使を務め、
日独伊三国同盟締結の
立役者としても知られる。
<南フランスのドイツ軍防衛拠点を視察中の大島氏(写真中央、1943年)>
終戦後の極東国際
軍事裁判では
A級戦犯として
終身刑の判決を受けた。
<極東国際軍事裁判時の大島氏(1947年)>
<碑 文>
表文:妖雲鎖獄朔風腥昨夜三
更殞七星暴戻復讐還太古
雪冤何日靖忠霊
録哭殉難七
僚友獄中作 〇山〇
裏文:
妖雲獄を鎖して朔風腥し
昨夜 三更 七星殞つ
暴戻の復讐太古に還る
冤を雪ぎ何れの日か
忠霊を靖んぜん
殉難七僚友を哭し獄中作を録す
陸軍中将 駐独大使 大島 浩
昭和六十年四月吉日 建立
忌まわしい雲が
巣鴨の獄を閉ざして、
北風が
血なまぐさく吹いている
このようなとき
昨夜晩く七人の高官たちが
死刑になった
暴逆非道なる
この復讐は
あたかも太古に還った
野蛮な行為であることよ
冤罪を雪いて
いつになったらこの七人
忠義な霊魂を
安らかにすることが
できようか
殉難のために身命を捨てた
七僚友の死を悼み、
慟哭して
獄中の作をここに録する
謹んで
祓い、鎮魂を
行わせて頂きました。