愛知県西尾市の「殉国七士廟」の「あゝ幾山河第3師団通信隊」の碑を訪問慰霊致しました | ザ・ブルーズ・ナイト♪~イソノミヤを求めて~

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”イソノミヤ”とは?ギリシャ・イオニア地方のかつての自由で平等な気風の無支配都市であり、伊勢神宮内宮(磯宮)の古い呼び名のことです。

「JR岡崎駅」より
「IR三ヶ根駅」まで列車で10分。

 

「IR三ヶ根駅」より
徒歩1時間の距離にあります。

 

「殉国七士碑」の左手より
階段を下ります。

 

 

階段の踊り場を
下りますと。



◆「あゝ幾山河
  第3師団通信隊」の碑



●第3師団(だいさんしだん)

 大日本帝国陸軍の
師団のひとつ。

明治21年5月から、
建軍時の鎮台組織を廃止して、

師団編成に改組する
業務が進められ、

名古屋鎮台は
第3師団に改編されました。


<第三師団司令部 名古屋市>

(明治21年5月14日)

主な所属部隊(終戦時)

歩兵第6連隊(編成地=名古屋) 
通称・幸3702部隊
 
歩兵第34連隊(編成地=静岡) 
通称・幸3703部隊

 

<日清戦争>
 
歩兵第68連隊(編成地=岐阜) 
通称・幸6704部隊

野砲兵第3連隊(編成地=名古屋) 
通称・幸3708部隊
 
工兵第3連隊(編成地=名古屋) 
通称・幸3709部隊
 
輜重兵第3連隊(編成地=名古屋)

 

<日露戦争>

<碑 文>

 

 

あ ゝ 幾 山 河 

 第3師団通信隊

<碑 文Ⅱ>

 

 

 小 史

 第3師団通信隊は、
昭和十二年八月
名古屋で編成され、

有線三個小隊・無線一個小隊
・本部・行李から成り、

師団司令部と管下部隊間の
通信の確保を任務とした。


<ベイヘ川を渡る第三師団 1940年>

 編成直後中支に派遣され、
上海上陸戦を初めとして、

湖北省応山に駐留した六年間を通じ
二十回の作戦に参加した。

 湘桂作戦を終えて、

二十年八月広西省遷江から
反転北上中終戦となり、

江蘇省鎮江に集結し

抑留された。



 ニ十一年三月
博多港に上陸復員し、

伝統ある第三師団の
中枢としての

使命を果たした通信隊は
ここに歴史の幕を閉じた。


<復員兵を満載して博多港に接岸する旧日本軍の上陸用舟艇(1945年10月18日)>

<碑 文Ⅲ>



遥かなる戦野を偲び
行軍に明け暮れた

日々を想うとともに 

祖国に殉じた
百二十七名の戦友と 

物故した会員の
冥福を祈り 

併せて永遠の平和を願い
碑を建立する

 平成三年五月 三師通会

 

<日清戦争戦没した第三師団第一軍の慰霊記念碑。>

謹んで
祓い、鎮魂を
行わせて頂きました。