東京都三鷹市の 「中島飛行機武蔵製作所 爆撃照準点」 を慰霊致しましたⅢ | ザ・ブルーズ・ナイト♪~イソノミヤを求めて~

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”イソノミヤ”とは?ギリシャ・イオニア地方のかつての自由で平等な気風の無支配都市であり、伊勢神宮内宮(磯宮)の古い呼び名のことです。

JR「三鷹駅」より徒歩30分
「都立武蔵野中央公園」内にあります。



◆中島飛行機武蔵製作所 爆撃照準点Ⅲ



<説明版より>



ーB29のマリアナ基地配備と
       日本本土空襲ー



一方、アメリカ軍は、
1944 (昭和19) 年6月半ば、

日本の南、
約2,400kmに位置する

マリアナ諸島
サイパン島に上陸し、

7月には占領しました。



  続いて、 アメリカ軍は、
 
グアム島、
テニアン島も占領し、

これらの島々に

大型爆撃機
B29の基地を建設します。



 B29は、
4つの高出力エンジンを備え、

 1万mの高高度でも
飛行できる性能を持ち、



 マリアナ諸島から発進して、
宮城県以南の日本本土を爆撃し、

再びマリアナ基地に
戻ることができる

航続能力を
備えていました。



 原爆の投下を行ったのも、
この爆撃機です。

 

 アメリカ軍は
サイパン島占領後、

1944(昭和19) 年
10月頃には基地を整備し、

 B29の配備を開始しました。



 11月になると
偵察機を飛ばし、

日本本土の
詳細な空中写真を撮影します。

 こうして、
 1944 (昭和19) 年11月24日には、

マリアナ基地配備のB29が、
 
最初に日本本土で
空襲を行ないました。

この空襲の第一目標が
中島飛行機武蔵製作所でした。



<9回に及んだ空襲>

① 高高度精密爆撃
   =初期の空襲 ( 4回 )



 1944(昭和19) 年11月24日の
初めての空襲では、

工場内だけでも
57名が犠牲となり、
 
負傷者も
多数に及びました。



 12月3日には
第2回の空襲があり、

この空襲でも
60名が犠牲になりました。



 特に12月3日には
勤労動員の学生・生徒も
十数名が亡くなり、

また武蔵野町でも、
この日、初めて

市民の
犠牲者が出ました。



 空襲は、その後、
 12月27日(第3回)、

 翌年1月9日 (第4回)にも
ありました。



 これら4回の空襲は、

 「高高度昼間精密爆撃」
 といって

高度約1万m上空から、
目標である工場を狙って

爆弾を投下する方法で
実施されました。



 しかし、
実際には精度が悪く、

工場の破壊という目標には
遠く及ばないものでした。



② 海軍航空母艦から発進した
 小型機による空襲

 1945 (昭和20) 年2月半ば、
アメリカ軍は、

日本本土から
南に約1,250kmに位置する

硫黄島への上陸作戦を
実施します。



 この作戦に当たり、

海軍航空母艦
 (空母) に搭載された

多数の小型の爆撃機
(艦載機という)によって、

関東地方の

おもな軍事施設および
軍需工場が

激しく攻撃されました。


 
 その数は1千機といわれ、
2月16~17日の

2日間にわたって
行われました。



 中島飛行機武蔵製作所でも、

 2月17日に3隻の
空母から発進した

63機の爆撃機によって、

低い高度から爆弾や
ロケット弾を
投下されました。



 そのため、
この日だけで、

工場内で80名が
犠牲となったほか、

建物も大きな
損害を受けました。



 これは9回の空襲の中で
最大の損害でした。



 アメリカ軍の空襲は、

この作戦が
契機の一つとなって

大きく
転換していきます。



 すなわち、
B29による空襲も

高度が下げられ、

 爆弾も大量化、
大型化していきます。



 3月10日、
東京下町に対する
空襲 (東京大空襲)は、

夜間に低高度から
市街地に対して、

大量の焼夷弾を
使った空襲であり、

 多くの市民が
犠牲になりました。



・・・つづく