東京都新宿区にある国立医療センター病院内「資料展示室」を見学致しました | ザ・ブルーズ・ナイト♪~イソノミヤを求めて~

ザ・ブルーズ・ナイト♪~イソノミヤを求めて~

”イソノミヤ”とは?ギリシャ・イオニア地方のかつての自由で平等な気風の無支配都市であり、伊勢神宮内宮(磯宮)の古い呼び名のことです。

「若松河田駅」より
徒歩6分の距離にあります。

 

 

◆資料展示室



★からだとこころを癒す

 

 

◆横井庄一さん

<グアム島で28年間、
陸軍軍人として

サバイバル生活を送った
不屈の残留日本兵。>



・第二次世界大戦中、
グアム島に配属。

アメリカ軍が上陸して、
戦死と伝えられる。

しかしその後、
終戦を知らず

仲間とジャングルなどに
地下壕を掘って隠れる。



 ”砲弾の破片を
木の先に縛り付けて、

それをシャベルにして
穴を掘り潜みました。

主食は、

パンの実を中心とした
木の実でしたが、

手に入れるのは
難しいことでした。



 タンパク質は、
野ぶた・ネズミ

・トカゲ・川エビ
などからとりました。

村人の食糧には
決して手を出さず、

これで長期間
発見されませんでした。



 細工した竹をこすり
合わせて火をおこし、

火種を慎重に
灰に保存していました。

衣類は、元洋服の
仕立屋だったことから、

木の皮をはいで
アク抜きをして
繊維を作り、

手製の織り機まで
作って布にしました。



 発見されるという
恐怖感から

28年間一瞬たりとも
熟睡したことが
ありませんでした。”



 1972年(昭和47年)1月に、

エビやウナギを採る
罠を仕掛けに行ったところ、

地元の猟師に遭遇。

同年2月2日に
日本に帰国。



空港で出迎えた
時の厚生大臣に、

「何かお役に立つと思って
恥をしのんで帰って

まいりました。」
と伝えたという。



 また、その後の
記者会見では、

「恥ずかしいながら
生きながらえて

おりましたけど」

と発言したという。



・帰国後、

健康診断と健康回復のため
NCGM
(国立国際医療研究センター)
に一時入院し、

時代を隔てて大きく変わった
戦後の日本に復帰するための、

大きなステップとなった。

 

”その後は、
自身のグアムでの
サバイバル生活の体験から、

耐乏生活評論家として

全国各地で
講演を行いましたが、

平成9(1997)年
82歳で逝去しました。”



”何かのお役に立つと思って”
この国によせる思いが

英霊の皆様の心意気を
象徴しているように思います。

 謹んで
祓い、鎮魂を
行わせて頂きました。