「新宿駅」より
電車30分で
「武蔵小金井駅」。
そこから
「小金井リハビリテーション病院前」
までバスで10分。
★宇垣纏の墓所
◆宇垣纏(うがきまとめ)Ⅱ
1890.2.15(明治23)
~ 1945.8.15(昭和20)
'45.2.10
第5航空艦隊
司令長官に就任し、
鹿屋の司令部に着任した。
軍令部、連合艦隊の指示
・意向による
特攻を主体とした
部隊編成が初めて行われ、
宇垣は長官訓示で
全員特攻の決意を
全艦隊に徹底させた。
同.2.16アメリカ軍が
硫黄島に対して攻勢を開始、
<1945年2月19日から38日間にわたって続いた硫黄島の戦い>
陸上爆撃機「銀河」
24機による特攻作戦
「第二次丹作戦」を敢行。
12機が特攻し
空母を1隻大破させた。
その1週間後、
本土空襲に来襲した
米軍機動部隊に対し、
3日間の通常攻撃及び
70機の特攻機を
散発的に出撃させ攻撃
(九州沖航空戦)。
同.4.6沖縄戦では
特攻を主体とした
米艦隊への海軍の
航空総攻撃作戦である
菊水一号作戦が
発動されると、
<菊水紋:14世紀に活躍した武将
楠木正成(くすのきまさしげ)の家紋
「菊水紋」に由来。
後醍醐天皇に仕え、
鎌倉幕府を倒した
楠木正成(くすのきまさしげ)は
最期に死を覚悟の戦
(湊川(みなとがわ)の戦)
に挑んだ忠臣とされ、
正成を称える挿話は
戦前は学校の教科書にも
掲載されていた。>
<楠木正成像>
一日の出撃数としては
海軍特攻として
過去最多の
161機を出撃させた。
その後も菊水作戦は
6月以降まで行われたが
兵力の枯渇や、
散発的な使用により、
大きな戦果を
挙げられなかった。
同.8.10
第3航空艦隊司令長官に
親補されるが着任せず
終戦を迎えた。
・・・つづく