◆人生の決断は、女性のお尻を追っかけながら♪ | ザ・ブルーズ・ナイト♪~イソノミヤを求めて~

ザ・ブルーズ・ナイト♪~イソノミヤを求めて~

”イソノミヤ”とは?ギリシャ・イオニア地方のかつての自由で平等な気風の無支配都市であり、伊勢神宮内宮(磯宮)の古い呼び名のことです。



<<素直なココロで・・・。>>




”人間正直が一番”とどなたかが

おっしゃっていましたが。





「確かに偽らない分だけ

ストレスはないでしょうネ!」






しかし問題は、その度合いがですね。




「ハイ?」





ちょっと公共的にも

問題がある場合においてはどうでしょうか?





「それは、社会に身を置く立場上、

自らをキッパリと律するべきでしょうネ!」







ともすると音楽、芸術、スポーツも

そうかもしれませんが、




いわゆる私たちが考えられない程の

優れたパフォーマンスを発揮し得る存在

と言われる方たちは・・・。






「いわゆる天才と言うコトでしょうか?」






そうかもしれません。



日常においても奇行を行うコトが

習慣的にあるケースが

多いのではないでしょうか?











「なるほど。」






要するに、自身の描いているイメージの世界と

現実との境(さかい)が非常に薄い。


それこそイメージの世界=現実!



そう自覚されているのではないかと

思われます。






「なるほど。」




「でも、そうすると周囲の方たちは

迷惑千万ですね。」







そうですね。


それで、彼はコミュニティーから

追い出された経験があります。





「そうですか。」






はい。


お酒が好きで、



女性においては

も~っとお好きな様だったそうです。






「でも、それは男性においては

よくあるタイプではないでしょうか?」





(「でも、それは男性においては
よくあるタイプではないでしょうか?」)







その様に型にハマったタイプなら

いいかもしれませんが、


彼の場合はちょっと

度を越したトコロがありました。






「先ほどのお話しの奇行でしょうか?」






そうです。



女性好きなので、

年中その陰を追いかけていたそうです。






「それは、今で言うストーカーでしょうか?」






それとも違いますね。



相手が嫌がっているならそうでしょうが、

どうやら相手も彼に気があった様です。






「それは、どう言うコトでしょうか?」







どうやら彼はプレイ・ボーイだったみたいで、

それでいて女性の後を追いかけては

ハントしていた様です。






「それは、同性としては羨(うらや)ましい、

場合によっては妬(ねた)ましい存在ですね。」






そうですね。


それで妬(ねた)まれたケースがありました。




「ハイ」






いつもの様にプレイ・ボーイを決めて

白人女性と関係を持ったトコロ。





「ハイ」






それを良く思われなかった様で、

*3K団(クークラックスクラン)


追われるコトになりました。





(3K団(クークラックスクラン)に
追われるコトになりました。)





*クー・クラックス・クラン



アメリカの秘密結社、白人至上主義団体。


「白人至上主義団体」とされるが、

正確には北方人種を至上とし、

黒人やユダヤ人、アジア人、


近年においてはヒスパニックなどの

他の人種の市民権に対し異を唱え、

同様に、カトリックや、左翼団体、


同性愛者の権利運動やフェミニズムなどに

対しても反対の立場を取っている。





「それは恐ろしい思いをしましたネ。」






そうです。

その時、彼は排水口で1日過ごしたそうです。






「見つかれれば火炙(ひあぶ)りか、

吊るし首でしょうからネ!」







そして頃合いをみて、

シカゴに向かって、

それ以来ミシシッピーには

戻らなかったそうです。






<<ハウンドドッグ・テイラー登場!>>


今回ご紹介するブルーズ・マンは

ハウンドドッグ・テイラーです。





(今回ご紹介するブルーズ・マンは
ハウンドドッグ・テイラーです。






彼は日夜女性を追い求めていたので、

彼のことをハウンド・ドッグ(猟犬)と

友人に呼ばれたそうです。





「いや~っ!ぴったりのネーミングですね。」





そうですね。


シカゴに逃げたものの、

彼は音楽で食べてゆく。

その決断にまだ至っていなかった様です。






「と言いますと・・・?」






何分、彼は自分の意志で

シカゴに移ったワケではなかったからです。






「そうでした。

止むにやまれない事情でしたネ!」^^






それですから、15年間は

音楽と、家具職人の生活を

送っていたそうです。





「なるほど」






そして決断の時がきて!





「OH!」





彼はプレイ・スタイルを変えて

精力的に活動を開始します。





(彼はプレイ・スタイルを変えて
精力的に活動を開始します。)






「いいですね。」





早い時期から地元ファンを魅了して。







「OH !」







彼はシカゴで最も愛される

ブルーズ・マンであり、



そしてサウスサイド、ウェストサイドの

地元のお気に入りのひとりになったそうです。







「いいですね。」



「ヒトはスイッチが入ると

ここまで変わるモノなのですね。」






そうですね。





「彼の次なる活躍に期待しましょう。」








☆Hound Dog Taylor - Talk to My Baby ♪


☆Hound Dog Taylor - Sitting Here Alone ♪


☆Hound Dog Taylor - Little Walter - Koko Taylor♪


☆Hound Dog Taylor "Wild About You Baby" ♪








☆ハウンド・ドッグ・テイラー HOUND DOG TAYLOR


本名:セオドレ・ルーズベルト・テイラー


 ( 1915年4月12日 - 1975年12月17日)


アメリカン・シカゴブルーズ・シンガー、ギターリスト





エルモア・ジェームス
直系の荒削りで

豪快なスライド・ギターが特長。





(エルモア・ジェーム)






Hound Dog's band, the HouseRockers

を結成して活動し、



晩年になってからアリゲーター・レコードから

リリースしたアルバムにより注目を集める。




HouseRockersはツイン・ギターと

ドラムスのトリオ形式で、

ベーシストがいない変則的な編成。




ここから繰り出されるサウンドは、

セカンド・ギターのBrewer Phillipsが


ギタリストでありながらベーシスト的な

プレイもするユニークなものであった。




(Brewer Phillips)






<キャリア>


1915年(他では1917年とも?)、

ミシシッピ州ナッチェスに生まれる。




テイラーは米大統領セオドア・ルーズベルト




(セオドア・ルーズベルト)





にちなんでセオドア・ルーズベルト・テイラーと

名付けられた。

彼はそれぞれの手に6本の指で生まれた。




ミシシッピデルタで育った

幼少期は簡単なものではなかった。




彼がわずか9才の時に、

継父はおそらく茶色の紙袋の中で




彼のものをパックして、

ショット・ガンを持ち戸口に立ち、

そしてテイラーに静かにするよう言った。








それは話しが進んでゆく方向だった。



彼を知っていた人々から集めた情報から、

この物語は真実である場合があるか、

そうでないでない場合がある。





しかし、彼は人生で

そのころ姉と一緒に暮らしに行った。










最初はピアノを演奏していた。

ギターを弾き始めたのは20歳の頃であった。




それまで真剣に演奏を始めなかった。



そのとき、彼はデルタ中で

ギターだけではなくピアノも演奏を始めた。





彼はまたSonny Boy Williamson

とアーカンソー州ウエスト・ヘレナの

KFFA局の伝説的な

 King Biscuit Flour ラジオ・ショーに

2,3回出演した。





(King Biscuit Flour ラジオ・ショー)






小作人として農業に従事する傍ら

ミシシッピ州のジュークジョイントで

プレイをしていたが、1942年にシカゴに移住する。





1942年に、いつもプレイボーイのテイラーは

白人の女性と関係を持った後に、


3K団の支部によってある日、

ミシシッピ州から追い出された。




彼は排水溝で隠れることに1日目を費やした。

そして、その翌日、彼はシカゴに向かった。





彼は、決して戻らなかった。





夜になると半職業的にギターを演奏し続けたが、

彼はいくつかの異なる音楽以外の仕事をして

シカゴで最初の15年を過ごしたのだった。





1957年にフルタイムのブルースマンに

なることに決めたとき、

彼はテレビ・キャビネットを造っていた。





この時、彼はまた彼のプレイ・スタイルを変えた。


かつて彼は標準的なおよびEチューニングで

演奏していた。



その時、彼はますますより多くの

ボトルネック・スタイルを演奏した。




この変化は、彼が当時の新進の

Elmore Jamesによって影響されたコトが大きい。









彼は1957年ごろのフルタイムの音楽家になったが、

黒人居住区で、また屋外のマクスウェル通りの市場の

小さなクラブで演奏した。


それはシコゴ以外の地域には知られていなかった。





シカゴではサウス・サイド、ウェスト・サイドを

中心にプレイするようになった。





早くから彼の野外ライブでは

膨大な地元のファンを集めていた。




たいてい、彼らは折りたたみ椅子の上に座っている。

両足を踏みつけて、熱狂を彼の後頭部に浴びせて

カナディアン・クラブを飲み、タバコを吸い、




(カナディアン・クラブ)






彼のギターががなり立てて、

立ち上がって踊るように促した。






テイラーは、シカゴの最も愛される

ブルーズ・マン、

そしてサウスサイド、ウェストサイドの

地元のお気に入りのひとりになった。





それは、彼の名前"ハウンド・ドッグ"を

拾ったのはこの時期だった。






彼は日夜女性を追い求めていたので、

彼のことをハウンド・ドッグ(猟犬)と

友人に呼ばれた。



その時、彼は2,3人の女性を追って

あるクラブにいた。




名前は定着した。




 ある夜、酒に酔ったハウンドは、

ストレートカミソリで、

彼の右手にある小さな余分な指を

切り落としたとき、それはこの頃だった。









             (ウィキペディアより抜粋)



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