◆4弦のギター・マスターNYに顕(あら)わる。 | ザ・ブルーズ・ナイト♪~イソノミヤを求めて~

ザ・ブルーズ・ナイト♪~イソノミヤを求めて~

”イソノミヤ”とは?ギリシャ・イオニア地方のかつての自由で平等な気風の無支配都市であり、伊勢神宮内宮(磯宮)の古い呼び名のことです。



<<人生いつになったら・・・。>>



人生いつになったら

本格的にやりたいコトを始めるのか?




「まぁ~。コトは慎重にと

申しますから。」





ハイ!




「やはりそれなりの生活資金を

確保してですね。」






ハイ!





「子供たちが

手がかからなくなってから・・・。」






ハイ!




「始めてみようカナ?

なんて思ったりして・・・。」






なるほど。


そうですか?






今回ご紹介する彼は


ドラムの演奏と

それから1指でのピアノを演奏から

音楽キャリアを始めました。









「と言うコトは?」






おそらく独学で、

それこそ現場で

耳を鍛え、

他人の音を真似(まね)るなりして、



それが例え一本指でピアノの鍵盤を

叩くコトから始めても・・・。




それも人前ですからね。





「度胸ありますね。」





それで地域のアマチュア・ショーで

フィーチャーされたり、





「ホウ!」





それで・・・。



ハーレム音楽シーンに

興奮覚えたそうなのです。






「なるほど。」





伝わってきませんか?






「何がでしょうか?」







彼の音楽に対するパッション(情熱)が!










「確かに・・・。」





”もっと上達したい。”



おそらくその様な思いが、


その思いが、

髙いレベルで活躍している方たちと

めぐり合うコトで

更に進化を遂げてゆくのでしょうネ!






「ウウ~ン。伝わってきます。

熱い思いが・・・。」







そして彼は専門的に演奏する、

そのチャンスをつかむタメに

21歳の時に、ニューヨーク市へ引っ越したのです。






「人生。いつになったら

本格的にやりたいコトを始めるか・・・。」






ともかく彼は現場に出ました。




そこで様々な経験値を増やして

いったのではないでしょうか?





その時は資金とか?

おそらく結婚もしていなかったかも

しれませんが・・・。





「老後のコトなども

当然、眼中にはなかったでしょうネ!」






そうですね。



ちなみに彼が最初

ニューヨークで始めたコトは・・・。




「ハイ!」






みすぼらしい小さな酒場での

ピアノ弾きだったそうです。





「でも。彼のパッションは

熱く燃えていたのですね!」








<<タイニー・グライムズ登場!>>




今回ご紹介するジャズ・マンは

タイニー・グライムズです。



(今回ご紹介するジャズ・マンは
タイニー・グライムズです。





ジャズ・ギターのマスターで

ロックンロールの発明者。



彼は自身のスウィングの

スタイルを開発したアーティスト。




「凄い評価ですね。」





そうですね。



彼は、ジャズの他の多くの

偉大なミュージシャン、


例えばチャーリー・パーカーなどと

一緒にセッション

そしてレコーディングされ、




(チャーリー・パーカー)




おそらく独力で、

それは最終的には

ロックンロールではないか?




そう評価されてしまう

かもしれませんが、




スウィング・サウンドの

新しいジャンルを

開拓したヒトリだそうです。






「時代を反映しているタメでも

ありますが、

イヤ~ッ!多彩なメロディですね。」





ちなみに、

彼のギターは、

ちょっと変わっています。





「ホウ!

どの様なところが

変わっているのですか?」







実は6弦のところを

4弦だけにして使っていたのです。





「それはどうしてでしょうか?」





元々壊れていたギターを

ハーレムの質屋で、

5$で購入したらしいですが、





その事に関して

彼はインタビューで応えています。




”私が他の2弦を担当する

余裕がなかったからさ!”






「なかなか洒落ていますね。」





それは例え4弦でも、

6弦のギターリストたちには

引けを取らない。




それを意味しているのでは

ないでしょうか?





「これはミュージックシーンの現場での

叩き上げが魅せる

ある種の自信なのかもしれませんネ!」





☆Tiny Grimes - Frankie & Johnny Boogie ♪


☆Blues Wail by Tiny Grimes & Coleman Hawkins♪


☆Air Mail Special by Tiny Grimes♪


☆I'm a wine drinker - Tiny Grimes and friends ♪





☆タイニー・グライムズ TINY GRIMES


本名:ロイド"タイニー"グライムズ

 (1916年7月7日- 1989年3月4日)


アメリカの ジャズとR&Bの ギタリスト 。




タイニー・グライムスは、

ロックンロールの発明者であり、


1946年8月14日にニューヨークで

WORスタジオで録音"の


Tiny Boogie'は、

すこぶる最初のロックンロールの録音だ。





タイニー・グライムスは

ジャズギターのマスターで

ロックンロールの発明者だった。



彼は演奏し、 Charlie Parker、

 Coleman Hawkinsのような




(Coleman Hawkins)




ジャズの他の多くの

偉大なミュージシャンと


一緒に録音され、独力で、

音楽の歴史の中で重要な時期に、




最終的にはロックンロールとして

引き合いに出される音を


スウィング・サウンドの

新しいジャンルを開拓した。






彼は1943年から1944年、Art Tatum Trio

のメンバーで、




(Art Tatum Trio)




セッションを録音する

バッキング・ミュージシャンで、

後に彼自身のバンドをリードした。




それには、Charlie Parker

とのセッション・レコーデイングを含まれた。






グライムスはCharlie Christianに




(Charlie Christian)





影響を受けた最も初期のジャズの

エレクトリック・ギターリストのひとりだった。


そして彼は自身のスウィングのスタイルを

開発した。




彼のテナーギター(4弦の電気楽器)の演奏は

注目すべき点だ。









< 略 歴 >


1917年7月7日アメリカ合衆国バージニア州

ニューポートニューズでロイド・グライムズ

として生まれた。




そして、ワシントンで

ドラムと1指でのピアノを演奏から

彼の音楽キャリアは始まった。



1935年までにワシントンD.C.地域周辺の

アマチュア・ショーでフィーチャーされた。




ハーレム音楽シーンの興奮と

専門的に演奏する機会につられて、

1937年に、ニューヨーク市へ引っ越した。




そこで彼は Rhythm Clubと呼ばれた

みすぼらしい小さな酒場でピアノを弾いた。





1938年に、彼は『Four Dots』と呼ばれている

グループと演奏して

ニューポートニューズで育った

子供の時のあだ名 'Tiny'「チビ」を名乗り始めた。




彼が自身にギターの演奏することを教えたとき、

この間にニューヨーク市にいた。



彼は5$のお金で、ハーレム質屋で

壊れた4弦ギターテナーギター(4弦の電気楽器)

を購入した。






後に、彼がなぜ普通の6弦ギターよりも

4弦を演奏することに決めたかについて

尋ねられて、彼は答えた。



「私が他の2弦を担当する余裕がなかったからさ!」







彼のギターは早く上達した。



そして 不滅のCharlie Christianと

Snags' Allenという地元のギターリストから

インスピレーションを得た。






2年後の1940年に、彼はギタリストと歌手として

人気ジャイブ・グループ'The Cats and The Fiddle'

に加わった。




(The Cats and The Fiddle)





そしてHerbie Milesをバイオリン担当に戻した。





彼の最初のレコーディング・セッションは

1941年1月20日で、RCA's Bluebirdabel用に

8曲だった。


グループは、1941年10月にスタジオに戻った。





タイニーは、1942年に "キャッツ"を去り、

カリフォルニア州で急成長している

音楽シーンのために西に向かった。






彼は'Slim and Slam'のベーシスト

Slam' Stewart と共に加わって




(Slam' Stewart )




米軍のため突然の出発になった

'Slim' Gaillard'をフォローした。




(Slim' Gaillard)





1943年に、彼はギタリストとして

Slam Stewartを含む

クラッシクArt Tatum Trioの一員に加わって、

テータムといくつかの曲を録音した。




初期のTatum TrioのAsch と Comet録音は、

グライムスのギター・ワークの

より興味深い初期の例のいくつかを含んでいる。





まもなくその後タイニーとスラムは

彼ら自身が放蕩なピアニストArt Tatumと

事あるごとに突っかかっているコトに気づいた。




すぐに、この才能のあるトリオは、

57番街で絶賛のレビューと

狂信的な観衆にニューヨーク市で

主役を演じていた。





 この悪名高いジャズ・トリオは、

1942年から1943年の米国連盟の

ミュージシャン・レコーディング禁止令

のための1944年まで、どのワックスも

切ることが出来なかった。





禁止が解かれたとき、彼らは

Brunswick Label用にThe Art Tatum Trio'

の名のもとに録音した。




(The Art Tatum Trio:Brunswick Label





彼らはまたComet Recordsと呼ばれる

小さな団体用に録音した。


それらのディスクは今日

収集できると思われる。







テータムのもとを去った後に、グライムズは、

ニューヨークの彼自身のグループと、


そして大手のミュージシャンの長いリスト

と共に、録音した。


その中にはヴォーカリストのBillie Holidayがいた。




(Billie Holiday)




彼は、初期のビーバップ・ジャズの優れた例と

考えられるCharlie Parker と


彼自身のグループを増やして、

1944年9月に4つの録音を製作した。




それらは、

 "Tiny’s Tempo",

 "Red Cross",

 "Romance Without Finance",

 そして"I’ll Always Love You Just The Same",


後者の2曲はグライムズの歌をフュチャーした。






彼は52丁目(マンハッタン)の常連のひとりだった。





1940年代後期に彼は"Loch Lomond"の

ジャズ風ヴァージョンをヒットさせた。


バンドはTiny "Mac" GrimesやRocking Highlanders

と宣伝されて、キルトを履いて登場した。




(Rocking Highlanders)




グループには最高のテノール・サックスマン

Red Prysock(1948年~1952年出演)




(Red Prysock)





と歌手のScreaming Jay Hawkinsを含んだ。




(Screaming Jay Hawkins)





グライムズは彼自身のグループを

1970年代後半にリードし続けた。


そして彼はColeman Hawkins, Illinois Jacquet,




(Illinois Jacquet)




 Pepper Adams, Roy Eldridgeと、




(Pepper Adams)





(Roy Eldridge)





そして1977年にEarl Hines他の有名プレイヤーと

 strong blues-based performancesシリーズを

プレステージ・レコーズで録音した。






Paul Williamsと彼は最初の共同ヘッドライナー




(Paul Williams)




 Moondog Coronation Ballを推進した。




(Moondog Coronation Ball)




それは1952年オハイオ州クリーブランドで

Alan Freed によりプロモートされ、


最初のロックンロール・コンサートと謳われている。






1953年に彼は "Gee"(あれまぁ)

The Crows one-hit wonder(カラス 一発屋)

として演奏したのかもしれない。


それはR&Bグループによる最初の

オリジナルのロックンロール・レコードと呼ばれた。







かなり低調なプロファイルが続くが

グライムズは彼が亡くなるまで


ひとつの不変のスウィング/

過渡的なバップスタイルで演奏して、




そしてPrestige/Swingville,

Black & Blue, Muse, そしてSonetの様な

レーベルのリーダーとして活発に活動した。




(Prestige/Swingville)





グライムズは1989年3月ニューヨークで

髄膜炎により亡くなった。享年72歳。





彼のキャリアの晩年から重要な録音の

いくつかは以下の通り、

 Callin’

 The Blues, Blues Groove

そして”Some Groovy Fours” は

Black and Blue Labelでフランスにて

製作された。




(Some Groovy Fours)



              (ウィキペディアより抜粋)



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