『幸せ』のお話〜幸せの感度〜 | こころの声を聴くkeicho雑記帖〜嘘つかない、背伸びをしない、英波のつれづれ〜

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『こころ探検ナビゲーター』武田英波の日常の出来事、心模様を書き留める雑記帖です。
2014年に急性心筋梗塞、2017年に急性大動脈解離と脊椎梗塞を経験。
その感性と傾聴マインドで受け取ったままを正直に綴ります。
あなたの何かのお役に立ちますように。


こんにちは。
「傾聴ナビゲーター」の武田英波です。


今日は、
先日気がついた『幸せ』の話をしたいと思います。


えーと…
何が幸せかっていうことは、
人によって色々だと思うんですけれども。

それが何でかな?
っていうことに気がついたんです。

それは何かって言うと、
『幸せ』っていう事実はない
っていうことなんですね。

幸せっていう事柄もなければ、
幸せっていう物体もなくて。

ただ「幸せだ」って
自分が
思うかどうか
感じるかどうか


だけなんだなって。


だから、


人から見て、
どんなに幸せな状況にいたとしても、

自分が
「幸せだ」って認めなかったり、
感じられなかったりしたら、
幸せになれなくって。


かわりに
人から見たら
「えーっ?!」って思うようなことでも


なにか自分で
「幸せだな」って思うことができたりすれば、
十分幸せなんだなって。


思ったんですね。


だから
『幸せ』って、


自分でしか分からなくて。


誰かに幸せにしてもらうとか、
そういうことじゃないんだなぁ
って思ったんですよ。


幸せを感じるとか、
幸せだなーって思うとか、

なんか
そういう感覚とか

感度を

細かくしていって
繊細になっていったら、


どんどん幸せになっていくし、


そういう感度を閉ざして行ったりとか、
封じ込めたりとかしていくと、

幸せってどんどん減っていって、
幸せかどうかも

わかんなくなっちゃうなって


そう思うんです。


っていうのは、
昔の私がそうだったな
って思ったんですよね。


昔は、
すごく自分の幸せを否定してたりとか、
幸せはこういうものじゃないとか、
こうじゃなきゃダメだとか、
思ってたけど…

そういう絶対的なものってなくって。


自分が

どう感じるか、


自分が

どう思うか、


っていうことだけだったんだなあって。


いま思います。


だから、
幸せの感度や感覚を
もっともっと豊かにして、


もっともっと幸せになろう
と思います。


皆さんも
どうぞ幸せになってください。

それではまた。