かつて、あらゆるものを味わい尽くした美食家がいた。最高級のワイン、希少なスパイス、絶品料理。彼の味覚は極めて鋭敏で、複雑なソースの中のハーブの種類を言い当て、ワインの一口でそのヴィンテージを言い当てることができた。
ところがある日、彼は病に倒れた。回復した時、彼の味覚は失われていた。何を食べても味がせず、食べ物はただのエネルギー源に過ぎなくなった。食べる喜びは消え失せてしまったのだ。
彼は絶望に打ちひしがれた。医者、治療師、シャーマンに頼ったが、誰も彼の味覚を取り戻すことはできなかった。「生きる喜びを失ってしまった」と彼は嘆いた。
村の老女が彼の苦しみを聞きつけ、簡素な白米の入ったお椀を持って彼のもとへやって来た。「これを召し上がってください」と彼女は言った。
美食家は侮辱されたと感じた。「白米?私は世界最高の料理人が作ったご飯を食べてきた。一体何を私に差し出すというのだ?」
「とにかく食べなさい」と彼女は言った。彼はため息をつき、一口食べた。味気ない。簡素で、特筆すべき点もない。しかし、噛むうちに不思議なことが起こった。彼は食感に気づいた。米粒が舌に触れる感触だ。
温かさに気づいた。胸に広がる優しい熱。満足感に気づいた。味からではなく、栄養、食べるという単純な行為から得られる満足感だ。
「味がしない」と彼は言った。「ええ」と老女は言った。「でも、感じることができる。受け入れることができるのよ。あなたは人生ずっと味を追い求めてきたけれど、食べ物そのものを見失っていたのよ」
美食家はそれをじっと見つめた。彼は残りのご飯をゆっくりと食べ、味以外のすべてに意識を向けた。食感。温かさ。満腹感。
食べ終えたとき、彼は何年も感じていなかったものを感じた。満足感。快楽からではなく、存在そのものから。味わうことからではなく、受け入れることから。
彼の味覚は二度と戻らなかった。しかし、彼はそれを嘆くのをやめた。彼は食の仕方を変えた。失ったものを嘆くのではなく、目の前にあるものに感謝するようになったのだ。そして、味を吟味することにばかり気を取られていた頃には気づかなかった、食べ物が自分を養ってくれる力があることに気づいた。
数年後、洗練された味覚が恋しいかと尋ねられると、彼は微笑んでこう答えた。「味覚を失ったんだ。でも、もっと良いものを見つけた。味覚を必要としないという味をね。」