昔々、定規も直角定規も使わないほど腕の良い大工がいた。彼の作る戸棚は完璧にフィットし、継ぎ目は継ぎ目がなく、屋根は決して雨漏りしなかった。それなのに、彼は決して寸法を測らなかったのだ。

遠い国から大工たちが彼の仕事ぶりを見にやって来た。彼らは、彼が丸太を手に取り、長い間じっと見つめ、それから切り始めるのを見た。印もつけず、寸法も測らず、設計図もなかった。

「どうやってやるんですか?」と彼らは尋ねた。老大工は一本の木片を掲げた。「この木は、自分がどうなりたいかを知っているんだ」と彼は言った。「私は自分の意志を押し付けない。ただ耳を傾けるだけだ。」

「耳を傾ける?木に?」彼らは冗談だと思った。しかし、冗談ではなかった。「どの丸太にも自然な形があるんだ」と彼は言った。「太陽に向かって成長し、障害物を避け、風に吹かれてねじれてきた。その形は欠陥ではない。それは木の記憶なんだ。」

「でも、どこを切るべきか、どうやってわかるんですか?」と彼らは問い詰めた。彼は微笑んだ。 「木が私に語りかける。木を手に取ると、どこを切るべきか、手が感じ取る。鋸はその感覚に従う。決断などない。ただ、反応するだけだ。」

訪れた大工の一人、正確さを誇りとする男が彼にこう挑んだ。「寸法を測らずにキャビネットを作ってみろ。もし完璧だったら、弟子になろう。」

老大工は、誰も手を出そうとしない、ねじれて節くれだった木片を選んだ。彼は目を閉じ、両手を木の表面に置いて、一時間ほどその木と向き合った。そして、切り始めた。

彼は急がなかった。無理強いもしなかった。まるで水を彫るように、光を形作るように、ゆっくりと、優しく動かした。鋸はまるで自ら動くかのように、誰も見ることのできない道筋を見つけ出した。

完成したキャビネットは、並外れたものだった。木のねじれにもかかわらずではなく、ねじれのおかげで。節は装飾となり、曲線は構造となった。木は無理やり形作られたのではなく、自らの本質を解き放ったのだ。

訪れた大工はひざまずき、「教えてください」と懇願した。老人は彼を立ち上がらせ、「教えることはできない」と言った。「君はもう知っている。ただ忘れてしまっただけだ。木は敵ではない。君のパートナーなのだ。」

「しかし、私は人生を測ることに費やしてきました」と若い男は言った。「人生をコントロールすることに費やしてきました。」老大工は静かにうなずいた。

「ならば、残りの人生をかけて、それまでの知識を捨てなさい。真の達人とは、完璧に測る者ではない。真の達人とは、もはや測る必要がない者だ。自分の手を信じなさい。木を信じなさい。生まれようとしている形があることを信じなさい。そして、君はただその誕生を待つ助産婦に過ぎないのだ。」