「――掴め。完全に。逃げられないくらいに。」
そう呟いたのは、ケーレン。名の通り、若さで爪が熱くなるようなタカだった。
獲物を得るには、支配して、縛って、逃がさない。それが“勝ち”だと信じて疑わなかった。
だから彼は、獲物を掴むたびに爪を食い込ませた。
筋肉が悲鳴を上げるくらい。骨に響くくらい。――力なら負けない。そう思っていた。
獲物が重いときは、地面を引きずるように走った。
不格好でもいい。痛くてもいい。掴んだのなら正しい。
ケーレンはそうやって、毎日を“強さ”で押し通していた。
そんな彼を、高い松の枝から見ている者がいる。
ニクス。
古くて、静かで、やたらと見透かすような瞳のフクロウだった。月明かりを映した目が、ケーレンの必死さをじっと受け止めている。
「ねえ、ケーレン……」
ニクスは風に混ぜるみたいな声で言った。
「あなたは“世界が逃げていく”みたいに掴んでる。でもね」
「握りしめた拳じゃ、そよ風さえ捕まえられないって……まだ分かってないの?」
「うるさいな、ニクス!」
ケーレンは鼻を鳴らした。
助言なんて要らない。今はただ、獲物を“捕まえる”だけ。
彼は巨大な川マスを捕まえた。
――けれど次の瞬間。
爪が、深く食い込みすぎた。
痛い。重い。熱い。止まらない。
関節が固まって、力を抜くことも、離すこともできなくなってしまった。
マスは暴れ、川は流れる。
凍てつく急流へ引きずられていく。
ケーレンの胸が、ぎゅうっと縮む。
(放したら終わる。飛び去れない。動かない。……どうしよう)
「やだっ……! 離せない!」
恐怖で声が裏返った。
彼は本気で信じてしまっていた――しっかり掴めないから溺れるのだ、と。
そのとき。
「……もう少し、素直にしたら?」
ニクスが舞い降りた。
魚に向かって助けを入れるんじゃない。そんな生ぬるい知恵は要らない。
叩くのは、ケーレンの手首だった。
「っ!」
指先の力がほどけるまで、優しく。確かに。
痙攣していた筋肉が、ようやく言うことを聞く。
――そして、爪が開いた。
ぽん、と。
ケーレンは草むらに転がり込み、息を荒げた。
握っていたのはもう何もない。
なのに、なぜか胸が軽い。
一方、マスは無事に水しぶきを上げ、何事もなかったみたいに深い流れへ消えていった。
ニクスは低い枝から、いつもの落ち着いた声で言う。
「川は、獲物を放した鳥を溺れさせたりはしないものよ」
「真の熟達とは、力で掴むことじゃない。自分で“爪を開く”ことにあるの」
ケーレンは、震える爪を見つめた。
(……僕は、掴むことで勝とうとしてた。でも、掴みすぎて自分を縛ってた)
獲物を逃したわけじゃない。
自分の中の“執着”が、墓穴になりかけていたのだ。
その日から、ケーレンは変わった。
力を入れすぎない。
掴むときは掴む。けれど、手放す覚悟も一緒に持つ。
世界を“真に手にする”には――
まず、自分からそれを手放す勇気が必要なのだ。
(……開いた爪なら、風だって掴める気がする)
ケーレンは、静かに笑った。