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みんなの居場所「大切なあなたへのメッセージ」

カウンセリングルーム「みんなの居場所」代表の三上道代です。
このブログでは、
みなさんのお役に立てそうな内容を記事にして
皆さんにお伝えしたいと思います。
是非お楽しみに。

こんにちわ
カウンセリングルームみんなの居場所

代表の三上道代です。

 

 今回は思考の学校で学んだ私の変化シリーズ
その回11目として11番目の変化について
お伝えしたいと思います。

 

思考の学校で学んだ変化シリーズ   
その11:両親には愛しかなかったと気づいた(父親編)

これまで思考の学校で学び
たくさんの変化をしてきました。

 

 その中でも自分や大嫌いだった父親を
ありのままに認められるようになったこと
両親に心から感謝できるようになったことで
自分自身が満たされ
自分や他者を丸ごとOKできるようになり
私の人生は大きく変化しました。

 

思考の学校の校長である宮益先生も
両親に心から感謝し
両親には愛しかなかったことに
気づく事の大切さを強調しています。

 

両親に感謝できるようになって
次は両親には愛しかなかったことに
気づきたいと思うようになりました。

 

ザマジックで何度も感謝ワークをしているので
親の愛には気づいていましたが
もっと自分の腹に落ちるまで感謝したいと思い
まずは父親からの愛について見直してみました。

 

【父からの愛の見直し】

私は父が機嫌のよい時は親ばかと思うほど
可愛がってくれる一方で
お酒を飲み機嫌が悪くなると
ちょっとしたことで切れて
目の色を変えて怒鳴り、
時には手を挙げたるする父が大嫌いでした。

 

前回お伝えしたようにそういう父のことを理解し
できるようになった今なら
今までのように父親の嫌なところに目を向けることなく
もう少し素直に父親がしてくれたこと与えてくれたことに
目を向け認められる気がします。

 

【早期の私の記憶】

実は私はかなり幼い頃からの記憶があるのです。
私は実の母を5歳の時に病気で亡くしました。


一説によると親を早くなくす子どもたちは
早期の記憶があるのだそうです。

 

【私に成長を心から喜んでくれた父】

私の最も幼い時の父との記憶は
はいはいができるようになった私に
父が目を輝かせて
「みちよが、はいはいできた!!」
と喜んでくれた記憶です。

 

つかまり立ちが出来た時も
「みちよは、すごい!!」
と褒めてくれて大喜びしてくれました。

 

私が歩けるようになってまもなく
父は初めて私に履かせるために
白い花の模様がついた可愛いファッショサンダルを
買ってきてくれたのを覚えています。

 

【父が私にしてくれたこと】


父はよく幼い私を膝に乗せてくれました
私を膝に乗せながらたくさんの昔話をしてくれました。

 お祭りや花火や遊園地に連れて行ってくれたり
遊園地に行ったときはお父さんに肩車をしてもらい
赤い風船を手に持って、
たくさんのカラフルなビーズのおもちゃが入った
赤い鞄をお土産に買ってもらったのを覚えています。

 

【父の子供への思い】

父が育った時は貧しい暮らしで
また父親である祖父は信者の家を回り
何日も帰ってくることがなく
父親に何にもしてもらえなかったことが寂しくて
私達子供に自分と同じ思いをさせたくない
という思いから
いっしょに遊んでくれたり
遊園地に連れて行ってくれたのだと思います。

【私の才能を認めて褒めてくれた父】

そして、父はいつも私の才能を
大げさなほど褒めてくれました。


私はよく絵をかいていましたが、
「みちよは、天才!!」
「将来は天才画家になる!!」
など私の良いところを
「みちよは○○がすごい!!」
と大げさに褒めてくれました。

 

今でも思いだすのは
無心で畳にクレヨンで絵をかいていた時
書いていた私の絵を褒め、
「好きなだけかいていいよ」
と言ってくれて、家中がキャンパスになったことです。


まだ3歳~4歳くらいの私は
「こんなにも自分の才能を喜び応援してくれるんだ」
と思い、父の大きな深い愛を感じたのを覚えています。

 

小学校に入る前は運動が得意で
姉の国語の教科書をすらすら読み算数もできていた私を
父は「みちよは小学校に行ったら活躍する」
と楽しみにしていました。

【できないところは目をつむりできるところを褒めた父】

しかし父の期待に反して体育と図工以外にに
パッとしない通知表をみて
他の教科のことは触れず体育と図工の点数だけに注目し
「体育と図工はすごい」
と褒めてくれました。

父に成績が下がったことを一度も叱られたことはありません。
そんな時父は必ずそのことには触れず、
他に出来ているところを見つけて褒めてくれるのです。

私はそんな父から、
出来ないことには触れないことが
父なりの配慮であり父なりの優しさだと感じていました。

 

【父の様々な配慮】

また小学校に入って一番父が意識してやってくれたのが
弁当のおかずの確保です。

 

父は学校時代家が貧しくて弁当を持って行けず
昼休みは水を飲んで過ごしていたことが辛くて、
自分の子供には絶対にそんな思いをさせたくない
という思いがあったようです。

 

今振り返ると父は機嫌が悪くて
八つ当たりをして怒ることはあっても、
私の成績が下がったり
うまくできないことがあった時に
決して責めたり叱ったりすることはありませんでした。

 

そして、父の子供時代の辛い体験から
子どもには辛い思いをさせまいと
全力で与えてくれていたのです。

 

それが父なりの私を大切にする行為であり、
父の大きな愛だったことに気づきます。

【思春期の私への父の愛】

私が思春期なって、

父と全く話さなくなりました。
父は私の母がなくなり2度再婚しました。

 

たぶん父なりに私達のことを思っての

再婚だったと思います。


私が思春期の時に3番目の母と

暮らすようになっていました。

 

 3番目の母は父を尊敬し

二人はとても仲が良かったです。


私が実の母に求めた両親の仲睦まじい暮らしを
3番目の母が実現してくれていました。

 

全く口を利かない父との関係ですが
3番目の母が間に入ってくれて
「お父さんが道代ちゃんの事こんな風に褒めてたよ」
とよく父が褒めてくれていたことを教えてくれました。


これは父が亡くなる前まで続きました。

その母の言葉を通して、
父がいつも私を気にかけてくれていること。


私の良いところはちゃんと見てくれていて
認めてくれていることを感じることができていました。

 

父は時にはしんどくて私にあたったことがあったけれども、
幼い時に「この人は私を目に入れても痛くないほど可愛いいんだ」
と思ったときと変わらない愛情を
ずーとかけていてくれたことには間違いがないのだと思います。

 

幼い時はハグや抱っこ、肩車、お馬さんごっこ等
と全力で遊んでくれた父。

 

小学校の時、私が出来ないことは触れないでいてくれた優しさ、
思春期以降の遠くから見守りいつも気にかけてくれていた愛、
いろいろな愛の形ではありましたが、
父には愛しかなかった事が今わかります。

【私の子供達への愛は父の私への愛】

そして、私が子供を育てるようになって
私も父と同じ様に全力で子供達と遊びました。

 

子ども達が幼い時は父と同じように
親ばかになって
娘たちに成長の一つ一つに大喜びし
本気で娘たちが天才だと思って接していました。

 

子どもの才能を認め応援し
子どもが頑張ってもうまくいかない時はそっとしてあげる。

 

 時には父と同じように時には疲れて
子供にきついことを言ってしまうことはあるけれど
子どもを心から愛していることには変わりがない

親にとって一番の幸せは子供が幸せでいてくれること
今父が私にしてくれたように私も子供達にしてあげられている

父のかつての思いは、今私が子供たちに私が感じている思い
やはり父には愛しかないことを親になってみてわかる

最後まで読んでいただいてありがとうございました。

 

今回は両親には愛しかなかった父親編でした
次回は母親編をお届けしたいと思います。


お楽しみに

心から感謝を込めて

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カウンセリングルームみんなの居場所代表
思考の学校認定講師 三上道代