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みんなの居場所「大切なあなたへのメッセージ」

カウンセリングルーム「みんなの居場所」代表の三上道代です。
このブログでは、
みなさんのお役に立てそうな内容を記事にして
皆さんにお伝えしたいと思います。
是非お楽しみに。

こんにちわ
カウンセリングルーム「みんなの居場所」代表の

三上道代です。

 

 今回は思考の学校で学んだ私の変化シリーズ


その回10目として10番目の変化について
お伝えしたいと思います。

 

思考の学校で学んだ私の変化

その10:

両親に心から感謝できるようになった(母親編)

 

思考の学校で学んだ私の変化は
両親に心から感謝できるようになったことです。

 

前回のメルマガでは
父親に感謝ができるようになった
ことについてお伝えしました。

 

今回は母親に感謝できるようになったこと
についてお伝えします。

 

前回もお伝えしたように
私はロンダバーンのザマジックにチャレンジし
感謝ワークを4クール実践しました。

 

【両親に心から感謝出来ない理由】

しかし、両親を心の底から感謝できる
境地には至りませんでした。

 

父親や母親に対するわだかまりが
ブレーキとなっていたからです。

 

【母に感謝出来ない母へのわだかまり】

母へのわだかまりは
私が4歳の時に母から言われた言葉でした。
4歳の私にとっては衝撃的な言葉でした。

 

母は幼い私に
「私が死んだら正明(離れて暮らしていた長男)に教えてね」
といったのです。

 

その言葉は、幼い私の心臓が
ドーンと鳴り響くように感じるほどの衝撃でした。

 

私は言葉を失いその場で凍り付いてしまいました。
なにか内側に静かで激しい
怒りのようなものがあったのを覚えています。

 

それがどういう怒りなのか
今でも言葉にすることはできません。


確かなことはその言葉は幼い私にとって
非常に残酷だったということです。

 

少なくても「私が死んだら」と言う母の言葉の裏には
「母は私のためには生きようとしてくれない」
ということを意味していたからです。

 

つまり、「母は私を平気で見捨てるんだ」
と感じたように思います。

 

それ以来
「お母さんは私のことなんかどうでもいいんでしょ!!」
というようなやさぐれた思いで
二度と母に心を開くことはなかったと思います。

 

【母親とのわだかまりを見直す】

母親との見直しでは
母親にその時言いたかったことを書きだしました。


書いても書いても何か虚しさだけが残ります。

 

その時辛かった幼い私に寄り添って、認めてあげました。
「お母さんにそんな風に言われてびっくりしたよね!?」
「お母さんになんて言っていいかわからなかったよね!?」
「お母さんは私のことなんてどうでもいいんだって思っちゃったよね!?」
イメージの中の幼い私に寄り添って認めてあげると

不思議なことに幼い私はどんどん元気を取り戻し
最後は本来の天真爛漫だった陽気な私になりました。

 

そしてその陽気な子供の私が
今度は今の私にアドバイスしだしたのです
「そんなに深刻に考えなくっていいんだよ」
「もっと気楽に考えたほうがいいよ」

 

大人の私と子供の私と立場が逆転し
大人の私は子どもの私からアドバイスしてもらう
立場になっていました。

 

【母への理解】

幼い私から言われた言葉を考えてみると
母が本当に本音を言えるのは
4歳の幼い私しかいなかったかもしれない
母はそんなに大げさに考えずに
ただ誰かに弱音を言いたかったのかも知れない。

 

母は戦地に出兵した父の留守を預かって
もともと親がやっていた天理教の協会長の仕事を
元協会長である祖父に教えてもらいながら
教会を支えていました。

 

しかし、ある時祖父にレイプされ子供を身ごもり
中絶するしかなかったのです。


その噂はあっという間に
信者や関連の協会に広がり噂になったそうです。

 

そのことが発覚して親教会の配慮で
祖父は親教会に住み込む形になりましたが
残された祖母と母が上手くいくはずもなく
嫁姑の関係は最悪だったと後から聞きました。

 

そして、父が戦地から帰還し、そのことも父の耳に入り
父は戦争に行く前とは別人になって
母にあたるようになったのです。

 

母の立場に立つと母は何も悪くないのに
祖父からのレイプや中絶をせざるを得ない屈辱
中絶したことの罪悪感や
体の負担で身体が弱くなってしまったこと
祖母からの嫌がらせや周囲からの心無い噂
夫からのDVなど


どこにも心が休まるところもなく
弱音を吐けるところもなく
唯一弱音を吐けるのは4歳の私しかいなかった
ということに考えが及びました。

 

「おかあさんは、それほど追い詰められていたんだ!!」
「ほかに弱音を吐くところがなかったんだ!!」
「あんな形でしか弱音が吐けないんだ!!」

 

お母さんが「私が死んだら」と言ったのは
多分死んだ方が楽だと思っていたから


一日一日辛いことの連続で
やっとの思いで生きていたから

 

私が大人になった今だから母がどんなに
辛くて大変だったのかがわかります。

 

母にとってこの世は
生き地獄だっただろうと思います。

 

【大人になった私だから母を理解できる】

今の大人の私なら
母に思い切り弱音を吐かせてあげたい。


そして、「あなたは全然悪くないよ」
と言って励ましてあげたい。

 

母を抱きしめて気が済むまで泣かせてあげたい。


そんな場所が母にはなかったことが今ならわかる。

 

そして、その時の幼い私に
「お母さんは本気で言っている訳じゃないんだよ」
「だから、いなくなるって心配しなくていいんだよ」
「お母さんは誰かにわかって欲しかっただけだよ」
「それがあなたしかいなかったんだよ」
と伝えてあげました。

 

そして、イメージの中で
母と幼い私と大人の私の3人でハグをしました。

 

幼い私はお母さんにテッシュを
渡して涙を拭いてあげました。


母は幼い私に
「困らせるようなことを言ってごめんね」
と言ってくれました。
3人は明るい笑顔の変わりました。

 

そして大人の私が母に
「長い間ずーとお母さんの大変さも知らず恨んできてごめんね」
「お母さんがどんなに大変な人生の中で
私を一所懸命育ててくれていたのかわかったよ」
「私を生んでくれて、育ててくれてありがとう」
「お母さん、大好きだよ」
そして母とまたハグをしました。


母は優しく嬉しそうに微笑んでくれました。

 

母に感謝できるようになり
ようやく私が長い間望んでいた
両親への心から感謝するという
願いを実現させることが出来ました。

 

この話には続きがあったのです。

 

【母と父のイメージが大きき変わる】

このワークをした2日後に私は両親のことを
ふと思い出しました。

 

いままで感じていた両親のイメージは
母も父も無表情で、寒くて冷たくて暗くい
冷蔵室でフリーズ状態になっているようなイメージでした。

 

しかし、そのフリーズの状態から解凍されて
父親も母親も温かい体温がある
明るく生き生きした動きのある
温かい血液が体に流れている
生身の躍動的なイメージに変わったのです。

 

母親も父親も本来の本質である
明るく陽気で強くて何かあっても
悩みを笑い飛ばせるような逞しいイメージとして
見えるようになったのです。

 

多分私の今までの人間関係の世界は
両親に対するイメージのように
フリーズされた冷たくて暗い世界だったと思います。

 

そして、両親のイメージが変わったこの先の未来は
両親がフリーズされた状態から
解凍された明るく楽しき生き生きとした世界
と同じように陽気で明るく
なにかあっても笑い飛ばせる人間本来持っている
逞しさを実現できる世界であり

 それは被害者でも加害者でもなく
自分も他者も信じ、お互いを尊重しあい
困った時は助け合い、
お互いの夢を心から応援しあい祝福しあう世界
に変わるような気がしています。

 

私達は両親というフィルターを通して
人や世の中を見ます。

 

両親のイメージが変わればフィルターが変わり
新しいフィルターを通して世界を見ることになります。

 

これからどんな世界が見えるのか楽しみです。
次は皆さんの番です。

 

最後まで読んでいただいてありがとうございました。
心から感謝を込めて

 

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カウンセリングルームみんなの居場所代表
思考の学校認定講師 三上道代