こんにちわ
カウンセリングルームみんなの居場所代表
三上道代です。
前回のメルマガで
父親には愛しかなかったことに
気づけたことをお伝えしました。
今回はその母親編
母には愛しかなかったことに気づいたこと
についてお伝えします。
思考の学校で学んだ変化シリーズ
その11:両親には愛しかなかったと気づいた(母親編)
【母からの愛の見直し】
前回お伝えしたように
実は私はかなり幼い頃からの記憶があるのです。
私は実の母を5歳の時に病気で亡くしました。
一説によると親を早くなくす子どもたちは
早期の記憶があるのだそうです。
【幼い時の母との記憶】
私の母との記憶は生まれた直後から始まります
母は生まれたばかりの私を抱っこして
私におっぱいを飲ませるために
母の乳首を私の口に優しく含ませます。
私は母に抱かれて安心しておっぱいを吸い込みます
それはとても静かで安心できる安らかな時間でした。
【私の誕生を祝福してくれた記憶】
そんなある日家の家業が天理教の教会だったので
信者さんが集まっていたのだと思います。
母は信者である年配の女性達に
「この子がみちよです」と私を紹介しました。
信者さんたちが母と私の周りに集まり
私をのぞき込み目を細めて
「わー、かわいい」
「みちよちゃん、こんいちわ。」
のような言葉を口々に言ってくれて、
母も目を細めて嬉しそうにしていた光景が浮かびます。
私が生れてきたことを母も信者さん達も
喜んでくれているのがなんとなくわかりました。
【母との思いで】
母は私をおんぶしながら
いろいろな家事をこなしていました。
私は母の背中にくるまれて母の温かさを感じ
母の洗濯する姿や家事をこなす姿を眺めて
安心していたのを覚えています。
兄姉父母私で川の字になって夜は寝ていました。
下の双子の弟が生れるまでは
一番小さな私がお母さんの隣で寝ていました。
お母さんは私が隣で寝ている私に
嬉しそうに微笑んでくれました。
私がおねしょをしてしまった時
母の赤い腰巻の色が白いシーツに滲んで
うっすらとピンクいろになりました
しかしは母怒りもせず
優しく微笑んで着ていた私の服を替えてくれたり
シーツを取り換えてくれました。
母は物静かで何でも受け止めてくれる
雰囲気を持った人で
子どもの私は母といると
何とも言えない甘い気持ちになりました。
離乳食が始まるとビスケットを
母の歯で噛んで唾液で柔らかくし
私に口移しで食べさせてくれました。
正直幼い私は抵抗を感じながら
母に世話してもらう
幸せもを感じられる瞬間でした。
母はいつも私達家族のために
働いてくれていました
掃除・洗濯・料理・片づけ・裁縫等
母はいつもなにか家のことをしていました。
私が一人の時は私の隣に座り
針仕事をしていたり
母がたらいで洗濯している時は
私は母の隣で洗濯の泡で無心に遊びました。
忙しい中で私と姉のために人形セットを作ってくれました。
その人形セットで姉とよく遊んでいたのを覚えています。
私は教会の仕事やいつも家事に追われている母に
負担をかけまいと
あまり我が儘を言わなかったことを覚えています。
そんな私が母の気持ちを確かめたくて
家にはお金がないとわかっていたのに
どうしてもおやつを買うためのお金が欲しいと
母に駄々をこねたのを覚えています。
私はお菓子が欲しかったのではなく
母の愛情を確認したかったのです。
母は困った顔をしながら
一生懸命探して私にお金をくれました。
私は母の愛情を確認出来て気が済んだのですが
いまさら本当のことが言えず
とりあえず近所のお菓子屋さんに
お菓子を買いに行ったのを覚えています。
【突然の母の死】
そんな母が私が5歳の時に
遠く離れて暮らす信者さんの部落に
仕事で行った帰りに土砂降りの雨に襲われました。
何時間もバスを待っていたのがたたり
帰ってから体調を崩し肺炎で突然亡くなりました。
【お通夜の出来事】
母が亡くなったのは1月の寒い冬の夜でした。
そして、母のお通夜会場に
黒い美しい模様のアゲハ蝶舞い込みまました。
姉はそれを見て「あ!おかあさんだ!!」と叫びました。
アゲハチョウは私達の周りを何度か
ひらひらと舞いながらどこかに消えて行ってしましました。
今でも冬にあげは蝶が飛んでいることの
説明がつきません。
母は何故アゲハ蝶としてやってきたのか
母は私達に何を伝えたかったのか
たぶん母は私達に逢いたかったのだろう
蝶という形になっても私達に
伝えたい思いがあったのだろうと今でも思います。
その時、蝶になった母から伝って来たのは
私達を思ってくれる母の愛でした。
【母が亡くなってからの不思議な体験】
母とは二度と会えなくなりました。
しかし、その後の私の人生で命の危険にかかわる出来事には
いつも不思議なことが起こるようになりました。
私は小学生になって自転車をこげるようになりました
ある日町の大通りを猛スピードで自転車を走らせていました。
その自転車はブレーキがきかなくなっていました。
自転車で猛スピードで走っていたその時
私の前に走っていた大型のトラックが突然止まりました。
その瞬間に私は自転車のブレーキが
利かないことを思い出しました。
このままだと目の前のトラックに
体ごと激突してしまう
もう死ぬかも知れないと絶体絶命に思ったその瞬間
自転車がパタンと横に優しく倒れたのです。
今でも何故自転車が横に倒れることができたのか
全く説明がつきません。
なにか人智を超えた力のようなものが
働いたとしか言えません。
自転車は倒れたけれども私は何の怪我もなく
なにが起こったのか理解できないまま
また普通に何ごともなく自転車に乗って
走り去ったのを覚えています。
次の不思議な体験は
東京でバイトしながら
一人暮らしをしている時です。
早朝のバイトで寝坊してしまった私は大慌てで
自転車を猛スピードでこぎ
バイト先に向かっていました。
アパートの傍の細い道を通って
大型トラックが頻繁に通る大道りに出た瞬間
目の前に大型トラックが現れ
まさに大型トラックに激突してしまう
絶体絶命の状態になりました。
この時も私は死を覚悟しました
しかしその瞬間トラックと私の間に
ふわーと透明で柔らかい風船のような
エネルギーが現れたのです。
そのエネルギーがトラックと私の間に挟まり
クッションの役目を果たし
トラックに激突せずに済んだのです。
トラックが走り去り助かった私は
不思議な気持ちで
この時も何ごともなかったように
また自転車をこぎバイト先に向かいました。
この道で同じ状況で同じことが
その後も2回ほどありました。
もう一つは友達と夫と三人で
北海道を旅したときの出来事です。
私達は冬の夜中に車で
スキー場に向かっていました。
友達と私は車の後ろで眠っていました。
夫は風吹の中一人で運転していました。
吹雪で目の前が全く見えなくなり
どっちに進んでよいのかもわからず、
一つ間違えるとほかの車と激突しかねない
絶対絶命の状態になりました。
一つ間違えれば見えていない車にぶつかり
大事故になりかねない状態でした。
その時「こっちだよ」
という不思議な声が聞こえて
声の方向に車を走らせ
また「こっちだよ」という声が聞こえて車を走らせ
目的地になんとか無事についけたのです。
目的地について夫が私達を起こして
そんなことがあったことを
興奮しながら話してくれました。
私はいつも私に命の危険があるときに
必ず助けてくれる存在がしてくれたのだと
その時思いました。
通夜の夜に蝶として現れた母のメッセージは
ここに繋がる気がします。
母は生きている時はもちろん死んでからも
いつも私のそばにいて私を見守り
命の危険から守ってくれたのだと思います。
【母になって母の思いがわかる】
私に子供が授かり小さい娘を育てていた時
生れてきた娘が愛おしくて可愛くて
娘に産着を洗える喜び
おむつを替えてあげられる喜び
娘を抱っこしながら散歩できる喜び
娘の小さな手に触れられる喜び
思考の学校では親になった自分の子供への気持ちが
自分を育ててくれた親の気持ちだと言われています
だとしたらお母さんはどんなに私を
可愛くて愛しいと思ってくれていたんだろう。
このいま娘に感じた思いが
お母さんの思いだとしたら
母の私への愛情が
どんなものだったのか理解できて
嬉しくて泣けてきます。
母は幼い私達を残して
どんな想いでいったのだろう
私達も辛かったけど
お母さんはもっと辛かったのが
子供が授かり育てた私だからわかります
やはりお母さんにも
愛しかなかったとが今ならわかります。
最後まで読んでいただいてありがとうございました
心から感謝を込めて
【自分の現実を変えたいあなたに】
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思考の学校認定上級認定講師 三上道代