いつか届けるために。 | 土屋太鳳オフィシャルブログ「たおのSparkling day」Powered by Ameba

土屋太鳳オフィシャルブログ「たおのSparkling day」Powered by Ameba

土屋太鳳オフィシャルブログ「たおのSparkling day」Powered by Ameba

土屋太鳳オフィシャルブログ「たおのSparkling day」Powered by Ameba-120311_1300~01.jpg

土屋太鳳オフィシャルブログ「たおのSparkling day」Powered by Ameba-120311_1300~02.jpg

土屋太鳳オフィシャルブログ「たおのSparkling day」Powered by Ameba-120311_1730~01.jpg

東日本大震災から、今日でちょうど1年が経ちました。

「1年が経った」といっても、それは、
太陽が昇って沈むというリズムが365回繰り返されたということで、
震災で悲しいこと、苦しいこと、辛いことを経験されたり、
思いを残して家族や友達と離れなければならなかった方々にとっては、
前に進んだり、気持ちを切り替えることが出来る時間には、
ならなかったのではないかと思います。

それでも、1年が経ちました。
今日私は、1年前と同じ撮影所に来て、お仕事の準備をしていました。
ドラマ「鈴木先生」の撮影をしている最中に、
東日本大震災を経験した撮影所です。
今日の写真は、今日の撮影所での写真です。
空は何もなかったように晴れていたし、撮影所は普段どおりでした。
でも、あの日はすべてが違って見えました。

あの時まで、私にとって「震災」というものは、
教科書やテレビの映像の中で見るものでした。
でも、実際に経験した瞬間、震災はとてつもなく大きく恐ろしくて、
「何が起こっているのか」を知ろうとすることすら出来ないものなのだと
思い知りました。

そしてあの時からずっと、
「私にも何か出来ることはないのか」と自分なりに考えてはきたんですけど、
私はいまだに、自分の手や足で何かを直接お手伝いすることは、
出来ていません。

だからせめて今日、私はスタッフさんにお願いして、
その時のスタジオに、連れて行っていただきました。
中に入ったとたん、あの時の揺れやみんなの泣き声、物がぶつかる音、
スタッフさんや先生の声、家族への電話が繋がらない時の音など、
いろんなことを思い出しました。
昨日のことのようでした。

私が住んでいる東京は、
震源の近くで震災を受けた地域からは、離れています。
それでも、その時の感覚が昨日のことみたいによみがえるということは、
今も震災と闘っていらっしゃる方々にとって、東日本大震災が、
どれほど大きな傷となっているのか…
心が苦しく、痛いです。

私はその場で、黙祷をしました。
今日私に出来ることは、それだけでしたが、黙祷の間ずっと、
あの日に自分が経験したこと、それからずっと考えてきたこと、
まだ実現できていないけど続けていきたいことなどを、
思い出していました。
そして、その時に自分が経験した感情や迷い、決心を決して忘れずに、
毎日を過ごしていけることに感謝をしながら、
災害と闘っていらっしゃる方々に、
いつか少しでも多くの勇気や笑顔を届けたいという心を込めて、
祈りました。

私が実際に、何かをお手伝いできるようになるまでには、
情けないけど、まだまだ時間がかかると思います。
でも私は今、お仕事という場面を与えて頂いているのだから、
お仕事を通して心を伝えて行けるよう、
私自身が勇気を持って、全身全霊で、
お仕事と向かい合っていきたいと思います。
例えば私は、このブログに書いていただいたコメントで、
特撮ヒーローツイッタ—のことを知り、
子どもたちに向けてメッセージを送ることが出来ました。
その時に、ウルトラマンゼロの作品で共演させて頂いた
グレンファイヤーの声を担当なさっている関 智一さんが、
朝と夜に集中的にメッセージを送っていらっしゃることに気が付きました。
それはたぶん、子どもたちが、
被災地の寒くて暗い夜を、少しでも不安なく乗り越えることが出来るように、
寝る前と起きる時くらいの時間帯を狙って、
送っていらっしゃったと思うんです。
そのことに気が付いた時、すごく心があったかくなりました。
他にもたくさんの方々が、メッセージを送っていらっしゃって、
私自身も、その言葉にとても勇気をいただくことが出来ました。

こんな風に、お仕事を通して伝わることや、繋がる心は、
必ずあると思うんです。
それを届けるために、これからも、
応援して下さっている皆さんの力や言葉をいただきながら、
一緒に踏んばっていきたいと思います。

どうか東日本に、優しい春が来ますように。


土屋太鳳