参加から日数が経ってしまいましたが、10月27日のかいげん巡行のことを綴ります。

※前回のかいげん巡行の記事はこちら

かいげん巡行② 巨巌の記憶

 

10月27日の行程は、公式サイトで、

・距離は、全行程中最長の17km

・難易度は、全行程中最大の「5」

と、紹介されています。

秩父観音霊場 かいげん巡行 CKB34

かいげん巡行のチラシ 詳細面

 

心地良い疲労感は、翌日にまで残りました。

以下は、行程の最後に戴いた、御朱印です。

秩父 鷲窟山 観音院 御朱印

秩父 鷲窟山 観音院 御詠歌

一日中、歩き通した後に戴いた御朱印です。

日数が経過しても、目にするとその時の意識が蘇る、良いトリガーとして働きますね。

(ブログアップが遅れた言い訳・・・照れ 

 

先達は、翌日には記事にされていました。

上記ブログにもあります様に、この日の集合場所は、三峰口の駅でした。

 

妻と私は、以前の参加時と同様、13番慈眼寺で巡行の安全を祈り、駅へと向かいました。

旗下山 慈眼寺 本堂の観音様

全三十四ヵ寺で開眼法要された観音様は、来年1/26の巡行の最終日以降、こちらの慈眼寺で、お祀りされることになっています。

 

照れ 近頃の秩父は、別の意味でも聖地です。
御花畑駅 鉄道むすめ

御花畑駅で、鉄道むすめに出迎えられ、、、

三峰口駅で、笑顔で見送ってもらいました。てへぺろ

三峰口駅 鉄道むすめ

三峰口駅前で、前回の参加者の方々と暫しの歓談の後、山に向かって歩き出します。

三峰口駅前からの眺望

この日の行程は、距離は長いですが、札所には31番観音院しか立ち寄りません。

 

途中、秩父十三仏霊場大應山阿弥陀寺にて、一行は境内とトイレをお借りしました。

大應山 阿弥陀寺 大應山扁額

 

大應山 阿弥陀寺の扁額

 

大應山 阿弥陀寺 境内

お願い ありがとうございました。

大應山阿弥陀寺縁起の石碑

休憩後、足取りも軽く、再び歩き始めます。

秩父巡礼道からの眺望

新鮮な山の氣を胸いっぱいに吸い込みます。

かいげん巡行 秩父巡礼道

森の中を歩く気持ち良さを、味わいました。

かいげん巡行 秩父巡礼道

ここからは、山路が続きます。

かいげん巡行 秩父巡礼道

段々と険しくなっていきます。

かいげん巡行 深山路

最早これは、「山路」なのか・・・!?

かいげん巡行 深山路を拓く

・・と、その時、サポート隊の僧侶の声が・・

 

「先日の台風の影響で、以前の巡礼道が通れなくなっています。

今、皆さんが歩いている道は、歩き始めてまだ間もない道です。

一人また一人と歩くことによって、踏み固められ、新しい巡礼道となっていきます。

どうかその様な氣持ちで、後の巡礼者のことを思い、丁寧に歩いてください。」

    

素敵な声掛けだなぁと思いました。

 

また、その言葉は、連続テレビ小説『なつぞら』の奥原なつ柴田泰樹、そして山田天陽の生きようを、私に思い起こさせました。

 

先駆者は、後に続くひとのことを、、

後に続くひとは、先駆者の想いを、、

一人ひとりがお互いに尊重し合う。

この世は、氣付きの機会に溢れています。。

 

(北海道の開拓をテーマにするなら、アイヌシモリの視点も取り上げないとバランスを欠きますが、今回はそこが論点ではないので、触れずに置きます。)

 

如是我聞

連続テレビ小説「なつぞら」

山田天陽の言葉より

何でもできるってことは、何にもないのと同じだよ。

言い換えるなら、何にもないのは、何でもできるということ、でもありますね。

何もないキャンバスは広すぎて、そこに向かってると自分の無力ばかり感じる。

けど、そこで生きている自分の価値は、ほかのどんな価値にも流されない。

なっちゃんも道に迷った時は、自分のキャンバスだけに向かえばいい。

そしたらどこにいたって俺となっちゃんは、何もない広いキャンバスの中で繋がっていられる。

何かを形に顕すということは、満ち満ちたありとあらゆる可能性から、そのひとつを背景から分けするということでしょう。

 

一見、何もないと思える「(くう)」の世界は、からっぽなのではなく、分けなく氣が充満している白いキャンバスなのです。

 

真っ白いキャンバス。。。

全ての光の波長がまんべんなく含まれて、「白」という色になります。

 

ある波長が遮られて、別の色が顕れます。

 

區分けのない、白く広い背景の中で、皆々が繋がっている。。

 

お大師様が卽身成佛義 (40代半ばの著作) で、

重重帝網なるを卽身と名づく

と記したことを思い起こします。

 

31番 鷲窟山観音院への巡行記事は続きます。