伊藤計劃プロジェクトの第三弾にして最終章『虐殺器官』を観てきた
ひとまずこれで伊藤計劃ブームは終わるだろう。前二作品と比べると会場は満席で女性客も多かった。声優陣にイケメンが多いかららしい 笑
この作品は制作会社がまさかの倒産という事態になりながらも、監督の熱意により継続、そして完成に至ったという経緯がある
出来るだけ伊藤計劃の言葉や文体を忠実に再現したとあって、これは観る文学作品なんだなと思った
人々を狂気に導き、互いに殺し合わせる「虐殺の文法」は存在するのか?
…さすがにそれは難しいだろう。でも、「自殺の文法」とか「過労死の文法」は存在していると思う
例えば「他人様に迷惑をかけてはいけません」とか「お客様第一主義」がそれに該当する。それについては説明するまでもないだろう
ただ、この映画に関して言えば伊藤計劃の三作品の中で最も文学的要素が強く、原作やフランツ・カフカを一度も読んだことがない人にはよくわからないのではないだろうか。個人的には映像化された作品の中では屍者の帝国がいちばん面白かった。虐殺器官は観終わった後にけっこうグッタリする 苦笑。でもDVDは欲しい
虐殺の文法を成立させるのは難しいと思ったのは、聞き手の認識能力がある程度同じでなければならないという条件があるからだ。つまり同じ言葉や文法を同じように理解できる脳じゃないと虐殺の文法は空振りに終わるのではないかと推測している
アメリカ人には効果がある文法でも日本人の脳には全く響かないとか、同じ言葉でも民族が違えば脳の構造も異なる。例えば、日本人の情緒という感情をアメリカ人に理解してもらうのは難しい。だがそれでも、ニュースで自殺の報道をすればするほど自殺者が増える現象と同じように言葉には人を殺す力が宿っているという説を完全に払拭することはできないだろう
日本という言霊の国で、言葉の力を最後まで信じ抜いた伊藤計劃という作家の遺作が、こうして映像化してビジネスに利用されることを本人はどう思っているのだろうか?
短い間だったが伊藤計劃は屍者となって復活したのだ。そして、観客の体に言葉となって宿ったのだ。きっと伊藤計劃も楽しんでいるに違いない。そういうことにしておこう。