所属する、地震・津波対策議員連盟の、県外調査で、月曜日から東北に来ています。



震災数ヶ月後に、私は被災地ボランティアに行きました。

https://ameblo.jp/tanuma/entry-10975463702.html



あれから11年経ち、どのように復興を果たしてきたか

私もかつて見てきた人間として、強い関心があり、現地視察をしてきました。






95(月)


世嬉の一酒造株式会社がなさっている、「蔵元レストランせきのいち」

https://sekinoichi.co.jp/cuisine/


伝統料理の、手切りはっと膳を頂きました。「素朴な味わいの郷土料理」とのことでしたが、出汁がとても美味しかったです。


隣接のいわて蔵ビール🍺店も、数々の受賞をしている、志あるビールとのこと。注目です。

https://sekinoichi.co.jp/beer/







①気仙沼市鹿折地区視察


BRT…線路を剥がしてバス道にした



復興祈念公園

https://www.kesennuma.miyagi.jp/memorialpark/index.html











11年前、私も来た、船がここにありましたが、住民アンケートの結果、撤去となったそうです。










まちづくり協議会

熊谷会長、佐々木副会長



  • 鹿折地区は、震災前8000人が、225000人になった
  • 円卓会議は行政職員も一住民として参加
  • 地域防災訓練(避難所開設)に中学生も参加し、一体感向上
  • 外国人技能実習生も参加。災害公営住宅に住んでいる
  • 構成員会議が10年以上続いてきたのは楽しくやっているから。モチベーションが維持できてきた
  • 鹿折は区画整理は市内で迅速だった。しかしこちらに戻ってこれない人も多い。11年経つと復興系補助金は無い。最初は、被災者生活再建支援金(例えば家を建てるのに200万円など)
  • 防災士育成支援;遠く仙台市まで行くとき、補助金が出た。構成員会議から資格取得者出せた


小野寺・市復興企画部長

  • 市が避難所開設するときは、開設が目的となる。しかし地域民と開設すると、命を救うことが目的となる









②南町紫神社前商店街視察


事務局 坂本さま





  • 震災犠牲者は7名で済んだ
  • 12月に53店舗で再開。土地がなくて仮設で。市が5年間貸し出し。
  • 神社に住みながら、露店をやった。コロッケ屋。岩手から運んだ。飛ぶように売れた。服屋も、他も。そして仮設店舗ができた
  • 65千円、1212000円。内装も行政負担。
  • そのあとのかさあげで、移転しなければならず、5階建て建物の再開発となった抽選入居
  • 26店舗が集り、5年前から開始。仮設時代の10倍!元々漁船向けスナックが多い町。厳しい店多い。
  • 建物は立派になったが、昔居た住民が帰ってこないし、若い人もいない
  • 大島が波をとめてくれて、津波も7メートルで済んだ。なので、防潮堤反対運動が起きた。結局、始まったが。立てると1.5メートル
  • 各種イベントも少しづつ戻りつつある