旧陸前高田市役所。
カーナビでそこに行くと、いまは無惨な姿が…
巨大な貯蓄器?も転がっています。。しかも多数。。
ガレキは各地に集積していました。。
一応種類別にわけているようでしたが、この大量のガレキを、どうするのでしょう。。
一自治体で処理できるレベルの問題ではないと感じます。
一言でいえば、世紀末。
かつての大東亜戦争直後の、焼け野原と、全く同じだと感じました。。
この空気を知っているかいないかだけでも、日本のことを考える上で、大きな枠組みとなると思います。。。
驚愕しつつ、いまの市役所へ。
仮設の市役所。沿岸部より少し内地、高台にあります。
4月下旬にようやくここに移転できたとのこと。
300人以上いた職員のうち、100人以上が亡くなられたとのことです。。
案内も机1つ。
少しでも千葉市が役に立てたのが、救いでした。
避難所も視察。
近所の第一中学校に。
体育館の避難所。段ボールで仕切りを。
しかしプライバシーはあまりないでしょうね。。
初期は1,250人(!)がここにいたそうで、毎日が戦争だったそうです。。
校庭は、仮設住宅設置場に。
海岸にはなんと、家がまるごと沈んでいました…
鉄筋の建物はこのように各地で残っています。
もちろん木造は壊滅です。
ここは少し高台なので、一階部分だけで済んだようです。。
各地で、船が陸に乗り上げたままに。。
これが被害を大きくしたそうです。
大船渡では、信じられない巨大な船が、民家群の中に。
近くから見た写真。この迫力をご理解いただけるでしょうか…
1泊目は、陸前高田の、鈴木旅館に、素泊まり。夕飯はコンビニ弁当です。
ボランティアの人が多数おり(ほぼ全員?)、翌日はもう満室とのことでした。
ちなみにコンビニはいくつか復活しており、生活の支えになっている様子でした。
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2日目。ボランティアセンターです。
(ちなみに、お腹が出ているように見えますが…
これは中に手袋など入っているからですよ。
…でも最近太ったです。体重は変わらないのに…要注意)
今日の、ボランティアの依頼作業が、右のボードに貼ってあり、
我々参加者はここからどれをやるかを、決めます。
そして、9時からの参加者ミーティングで、ニーズとシーズをマッチングさせて、最終決定。
人数の関係などで、希望と別の仕事になることもあります。
なおボラセンは、活力いっぱいです。
続々と、バスでのボランティア志願の団体などもやってきます。
(もちろん事前に連絡が必要です。申込みなど詳細は↓)
http://rikutaka.ti-da.net/e3517681.html
テントでは、作業器材の貸し出し。
これはNPOの方々が中心です。
ボランティアの登録。これは社協の皆さん中心(と思います)。
ケガの保険や、ガイドなどを説明してくれます。
これは看護師さんたち。
ちなみに事務スペースには、たっくさんの寄せ書きがありました。天井まで。。
ここは随分高台にあるのですが、湾に近かったからでしょうか、一階部分が流されてしまいました。
仮設に入居ができ、やっと家の整頓に気持ちが向いたようで「お盆にご先祖様が帰ってくるのをきれいにしてお迎えしたい」とのことで、ボランティアのお願いを出したそうです。
なかは完全に水浸しだったので、もうほぼすべてダメです。
よく、梁などが残ったと思います。
浸水してもう使えないもの、若干保存したいものなどを分類…
結構な力仕事です。
とにかく全てを掃除。
神棚もきれいにしなくては、お迎えできません。
お隣でも同じように掃除。
塀には掃除に使った雑巾が何枚も干してあります(笑)
ボラセンには、3時までと言われていましたので、休憩込みで6時間作業し、
そのあと戻りました。
感想として、やはりボランティアなしの一世帯で掃除をするのは、かなり難しいと思いました。量が多過ぎる。
ボランティアの必要性はまだまだ高いと感じます。
そのあと、被災者の方が使っているお風呂、復興の湯で、我々も汗を流しました。
この湯は地元の大工さんが作ってくれたそうです。
入ったらすぐお風呂、脱衣所もないシンプルなところでしたが、これでもあるとなしとでは大違い、
生き返りました。
作業している方や、被災者の方など、いろいろな方がいて、意見交換の場になっている感じでした。いろいろ貴重な実感話がきけました。
記事にもなっていました。ちょうど私たちの数日前の記事です。
http://mainichi.jp/area/iwate/news/20110802ddlk03040051000c.html
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夜は、偶然千葉大学の学生たちが、地元の中学生に学習指導をする、
「寺子屋千葉大」をやっていると知り、視察させてもらいました。
真剣に指導する千葉大生。
中学生たちもかなり助かっている様子。
この日はテレビ局も取材に来ていました。
中学生を指導できる学力のある、大学生がまとまって被災地に来るのは、
普通に考えればかなり難しいことですから、
この企画は相当有意義であろうと思いました。
先生とゼミ生の皆さんに拍手です。
その日の夜は、公民館で、板間で寝ました。
ちょっと腰が疲れましたが(^^;)、被災者の方を思えば贅沢は言えないですしね。
車中泊やテント泊の人も多く、まさに戦場です。
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3日目は早朝に出発。
岩手県大槌町に移動です。
この町は町長も流されてしまった町。
市役所に一部なっている小学校も、悲惨な姿に…
市役所自体が、プレハブです。
大槌町の平野総務課長(町長代行)と面会。忙しい中、朝8時半から、30分以上もお時間とって頂く。
・人口15,000人のうち、1割が死亡・行方不明
・職員も139名いたが、33名が流されてしまった。この復旧は、5年10年では無理。いまは他市からの人的支援でなんとかもっている
・町長は亡くなったが、副町長がいた。しかし6月に任期満了。以降は自分が代行しているが、限界がある。復興が遅れるので、8月に町長選を決断した
※田沼注:以下記事が参考
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110804/elc11080400550000-n1.htm
・町長が亡くなったので、町の認知が高まり、支援も多く頂いた。その意味では助かった。が、同時に、メディアの取材がバラバラで、同じ会社でも部署が違うとバラバラに取材に来たりして、その対応に非常に疲れた
・庁舎が流されてしまったのは、ダメージが大きかった
・仮設住宅への入居はほぼ完了
・いまは物的支援はそこそことなり、ボランティアも落ち着きつつある。今後は心の復旧のフェーズ。話し相手になったり、自立心を育てたり、地域文化を守ったり…そういう部分のニーズが高まっている
・ボランティアさんの隣で、横になってのんびりしている被災者もいる。ボランティアさんたちと一緒に町を再興すべく、自立心を育まなくてはいけない
・昭和35年からずっと作り続けた堤防も、一瞬でなくなった。耐用年数50年だからちょうどかもしれないが、これを作り直すお金もない
・鉄道も堤防も建物も壊れ、今後の災害対策もできていないので、不安。政府の第3次補正予算で、こちらの要望に応じてもらえるか…
・もともと財政が厳しかった地域。過疎指定を受けていた
・人口流出になるのが一番怖い。2年で復旧できるなら、住民も「頑張るか」となるが、10年かかるとなると「じゃあ出て行こう」になる
・議会は(ちゃんと)開催した。議員さんも、職員の負担が大きくならないように配慮してくれた
・戸籍情報はバックアップしてあったので大丈夫だった。これは助かった
・町長がいないことは、復興を遅らせ、住民の意欲も引き出せなくなっている。8月中に町長選を行う。新しい町長の元、一丸となって、難局を乗り切りたい
※田沼注:ちょうどそのことの記事が以下に。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110804/elc11080400550000-n1.htm
・職員のモチベーションは落ちている。でもみな、身内が被災している中、不眠不休で頑張ってきた
・3.11で人生が一変した。自分が公務員だ(という使命感)をこんなに感じたことはない。死ぬまで震災は続く
・心の復旧のためにも、国が希望を持てる方針を提示して欲しい
切実な訴えに、大変インパクトを受けました。
特に最後の方の、使命感や希望の話は、涙が出るほど感動しました…
私の2年ほどの議員人生の中でも、最大の体験の1つです。
決壊していました。。。
港では、手作業で、このガレキを種類別に分別しているそうです。
気の遠くなる作業。。。
これは国の緊急雇用創出事業金でできるのが、救いとのこと。
大槌でも各地に、船が残っていました。。
この小さな旗は、どういう意味なのでしょう?
確か、赤旗が、もう廃棄してもらってよい、白旗は、資産として残す、だったような。。
これは南三陸です。
またもや巨大な船が…
気仙沼。中心街の撤去もまだ進んでいない感触でした。
信号もまだ復旧しておらず、警官の方が仕切り。
石巻。やはり巨大な船が、民家地帯に。。
とにかくただただ衝撃の日々でした。
帰りは明るいうちに各地を視察しながら戻りましたが、
沿岸部はほぼ例外なく、すべて被災していました。
それだけ今回の震災は、巨大な範囲であることが、第一の特徴と思います。
なんとか第一次復旧は、各市町村やボランティアの皆さんの努力で、完了しつつあります。
しかし市町村の力ではどうにもできないレベルの復興が、必要な段階に来ているようです。
・仮設住宅は数年しか居られませんから、被災者の住宅を今度どうするのか、
・土地の移転はできるのか、
・生活再建のため、雇用は創出できるのか、
・ガレキは積み上げられていますが、それをどう撤去するのか、
・インフラは応急処置はされていますが、鉄道や堤防や公共施設なども市町村単独でやるのか、
これらに応える、国や県の方針が、切実に待たれています。
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以上、視察報告です。
とにかく、これは、国難です。
日本中の日本人の力を結集して、
なんとしても、復興を成し遂げなくてはなりません。
しかも、早く!
先日の創新党フォーラムで、竹田恒泰さんも言っていましたが、
http://ameblo.jp/tanuma/archive2-201107.html#main
いま日本は岐路にあります。二万の御霊を犬死にとするか、否か。
「震災は人災だ」と言う人がいますが、
特に政府は、こういった課題に即座かつ真摯に応えなくては、
本当に政権のせいで被害が拡大してしまうことになるでしょう。
もちろん単に求めるだけでなく、私も自分のできることを探しつつ(こういった発信もその1つと思いますが)、
同時に政治の改善も求めていきたいと思います。
この震災で亡くなった方々は、この国を元に戻すために、命を捧げられた。
そう思って、その皆さんの姿を胸に、
私たちができることを、少しでも実際にやることから、始めましょう!
※ボランティアを希望される方は、こちらがお薦めです。