8月までは教科書問題で多忙を極めていたため、やっとこの時期(8月1日~3日)に、
東日本大震災の被災地を直接視察する時間がとれました。


わずか2泊3日ですが、この国難、やはり直接どうしても自分の目で見ておきたい、
ボランティアもやらねばわからないだろうと、決断。

陸前高田で、震災ボランティアに参加し、
その前後で被害状況や行政対応について、周辺地も含めて、視察してきました。





初日は早朝に千葉を出て、車で10時間ほど運転し、
午後に陸前高田に着いたのですが、
そこでは目を疑う光景が…


やはりテレビや書籍などと違い、実物を目で見るのは、
まったく迫力が違いました。。
あまりの悲惨な状況に、言葉も出ず、ただただ衝撃でした。



陸前高田の中心街のスーパー。3階まで津波が届いています。。

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旧陸前高田市役所。

カーナビでそこに行くと、いまは無惨な姿が…

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(参考までに、もともとの姿は以下。。)

千葉から、日本再建! ~千葉市議会議員・田沼隆志の挑戦




亡くなられた多くの方々のご冥福をお祈りして、献花してきました。

千葉から、日本再建! ~千葉市議会議員・田沼隆志の挑戦







巨大な貯蓄器?も転がっています。。しかも多数。。
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ガレキは各地に集積していました。。

一応種類別にわけているようでしたが、この大量のガレキを、どうするのでしょう。。

一自治体で処理できるレベルの問題ではないと感じます。

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一言でいえば、世紀末。

かつての大東亜戦争直後の、焼け野原と、全く同じだと感じました。。

この空気を知っているかいないかだけでも、日本のことを考える上で、大きな枠組みとなると思います。。。





驚愕しつつ、いまの市役所へ。





仮設の市役所。沿岸部より少し内地、高台にあります。

4月下旬にようやくここに移転できたとのこと。

300人以上いた職員のうち、100人以上が亡くなられたとのことです。。

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案内も机1つ。
他市の職員の方やボランティアの方が支援して、なんとか仕事が回っているとのことです。

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プレハブですから、天井からコンセントを引いて、業務。
皆さん、なんとか笑いつつも…
多くの方は身内を亡くされたりしていますので、目が笑っていない。
静かな悲しみを感じました。。

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防災対策室長補佐の戸羽良一さんに、お話を聞きました。
なるべく仕事の邪魔とならぬよう、立ち話で。。

千葉から、日本再建! ~千葉市議会議員・田沼隆志の挑戦
・陸前高田市は、人口24,000人。死者行方不明がうち2,000人
・全世帯で8000世帯。その半数以上が被災。全壊は3800世帯
・3月13日では8800人が62か所の避難所に避難していた。いまは仮設住宅の整備が進み、7月29日時点では、14か所280人となった
・国や県の支援はあまりなく、ほとんどは市町村がやっている。といっても財政が厳しいため、安否確認や仮設整備、ガレキの集積などしかできておらず、生活再建の見通しはたっていない
・職員の1/3が亡くなったため、業務が回らず大変だった。他市からの人的支援(派遣)がなければここまで来られなかっただろう。千葉市にも、ご遺体の火葬でお世話になり、感謝している




少しでも千葉市が役に立てたのが、救いでした。




避難所も視察。
近所の第一中学校に。

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体育館の避難所。段ボールで仕切りを。

しかしプライバシーはあまりないでしょうね。。

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初期は1,250人(!)がここにいたそうで、毎日が戦争だったそうです。。

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数日後にここを出て仮設に移るというおばさま。うれしそうでした。
ここまでの日々は、プライバシー問題や、若い世代との生活習慣の違いなどで、大変だったそうです。

千葉から、日本再建! ~千葉市議会議員・田沼隆志の挑戦





校庭は、仮設住宅設置場に。

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海岸にはなんと、家がまるごと沈んでいました…

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鉄筋の建物はこのように各地で残っています。

もちろん木造は壊滅です。

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ここは少し高台なので、一階部分だけで済んだようです。。

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各地で、船が陸に乗り上げたままに。。
これが被害を大きくしたそうです。

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大船渡では、信じられない巨大な船が、民家群の中に。


千葉から、日本再建! ~千葉市議会議員・田沼隆志の挑戦



近くから見た写真。この迫力をご理解いただけるでしょうか…

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1泊目は、陸前高田の、鈴木旅館に、素泊まり。夕飯はコンビニ弁当です。

ボランティアの人が多数おり(ほぼ全員?)、翌日はもう満室とのことでした。

ちなみにコンビニはいくつか復活しており、生活の支えになっている様子でした。







2日目。ボランティアセンターです。


(ちなみに、お腹が出ているように見えますが…

 これは中に手袋など入っているからですよ。

 …でも最近太ったです。体重は変わらないのに…要注意あせる


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今日の、ボランティアの依頼作業が、右のボードに貼ってあり、

我々参加者はここからどれをやるかを、決めます。


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そして、9時からの参加者ミーティングで、ニーズとシーズをマッチングさせて、最終決定。

人数の関係などで、希望と別の仕事になることもあります。


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なおボラセンは、活力いっぱいです。

続々と、バスでのボランティア志願の団体などもやってきます。

(もちろん事前に連絡が必要です。申込みなど詳細は↓)

http://rikutaka.ti-da.net/e3517681.html



テントでは、作業器材の貸し出し。

これはNPOの方々が中心です。

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ボランティアの登録。これは社協の皆さん中心(と思います)。


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ケガの保険や、ガイドなどを説明してくれます。

これは看護師さんたち。

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ちなみに事務スペースには、たっくさんの寄せ書きがありました。天井まで。。


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私が派遣されたのは、あるお宅の一階部分の掃除。

ここは随分高台にあるのですが、湾に近かったからでしょうか、一階部分が流されてしまいました。

仮設に入居ができ、やっと家の整頓に気持ちが向いたようで「お盆にご先祖様が帰ってくるのをきれいにしてお迎えしたい」とのことで、ボランティアのお願いを出したそうです。

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なかは完全に水浸しだったので、もうほぼすべてダメです。

よく、梁などが残ったと思います。



浸水してもう使えないもの、若干保存したいものなどを分類…

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結構な力仕事です。

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とにかく全てを掃除。


千葉から、日本再建! ~千葉市議会議員・田沼隆志の挑戦



神棚もきれいにしなくては、お迎えできません。

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お隣でも同じように掃除。

塀には掃除に使った雑巾が何枚も干してあります(笑)

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ボラセンには、3時までと言われていましたので、休憩込みで6時間作業し、
そのあと戻りました。


感想として、やはりボランティアなしの一世帯で掃除をするのは、かなり難しいと思いました。量が多過ぎる。

ボランティアの必要性はまだまだ高いと感じます。





ボラセンで、ここの責任者(地元陸前高田の社協の方)にお話を聞けました。
・とにかくここまで必死で来た、
・そのときどきでセンターの場所も変わったしボランティアの仕事も変わった、
・いまは家の掃除などが多い、
・まだまだニーズはたくさんあるのでぜひ多くの方に来て欲しい、特に平日が助かる、
とのことでした。
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そのあと、被災者の方が使っているお風呂、復興の湯で、我々も汗を流しました。

この湯は地元の大工さんが作ってくれたそうです。

入ったらすぐお風呂、脱衣所もないシンプルなところでしたが、これでもあるとなしとでは大違い、

生き返りました。

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作業している方や、被災者の方など、いろいろな方がいて、意見交換の場になっている感じでした。いろいろ貴重な実感話がきけました。

記事にもなっていました。ちょうど私たちの数日前の記事です。

http://mainichi.jp/area/iwate/news/20110802ddlk03040051000c.html


夜は、偶然千葉大学の学生たちが、地元の中学生に学習指導をする、

「寺子屋千葉大」をやっていると知り、視察させてもらいました。

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真剣に指導する千葉大生。
中学生たちもかなり助かっている様子。

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この日はテレビ局も取材に来ていました。

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中学生を指導できる学力のある、大学生がまとまって被災地に来るのは、

普通に考えればかなり難しいことですから、

この企画は相当有意義であろうと思いました。

先生とゼミ生の皆さんに拍手です。




その日の夜は、公民館で、板間で寝ました。

ちょっと腰が疲れましたが(^^;)、被災者の方を思えば贅沢は言えないですしね。

車中泊やテント泊の人も多く、まさに戦場です。


千葉から、日本再建! ~千葉市議会議員・田沼隆志の挑戦




3日目は早朝に出発。



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岩手県大槌町に移動です。

この町は町長も流されてしまった町。

市役所に一部なっている小学校も、悲惨な姿に…


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市役所自体が、プレハブです。

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大槌町の平野総務課長(町長代行)と面会。忙しい中、朝8時半から、30分以上もお時間とって頂く。


千葉から、日本再建! ~千葉市議会議員・田沼隆志の挑戦

・人口15,000人のうち、1割が死亡・行方不明

・職員も139名いたが、33名が流されてしまった。この復旧は、5年10年では無理。いまは他市からの人的支援でなんとかもっている

・町長は亡くなったが、副町長がいた。しかし6月に任期満了。以降は自分が代行しているが、限界がある。復興が遅れるので、8月に町長選を決断した

※田沼注:以下記事が参考

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110804/elc11080400550000-n1.htm

・町長が亡くなったので、町の認知が高まり、支援も多く頂いた。その意味では助かった。が、同時に、メディアの取材がバラバラで、同じ会社でも部署が違うとバラバラに取材に来たりして、その対応に非常に疲れた

・庁舎が流されてしまったのは、ダメージが大きかった

・仮設住宅への入居はほぼ完了

・いまは物的支援はそこそことなり、ボランティアも落ち着きつつある。今後は心の復旧のフェーズ。話し相手になったり、自立心を育てたり、地域文化を守ったり…そういう部分のニーズが高まっている

・ボランティアさんの隣で、横になってのんびりしている被災者もいる。ボランティアさんたちと一緒に町を再興すべく、自立心を育まなくてはいけない

・昭和35年からずっと作り続けた堤防も、一瞬でなくなった。耐用年数50年だからちょうどかもしれないが、これを作り直すお金もない

・鉄道も堤防も建物も壊れ、今後の災害対策もできていないので、不安。政府の第3次補正予算で、こちらの要望に応じてもらえるか…

・もともと財政が厳しかった地域。過疎指定を受けていた

・人口流出になるのが一番怖い。2年で復旧できるなら、住民も「頑張るか」となるが、10年かかるとなると「じゃあ出て行こう」になる

・議会は(ちゃんと)開催した。議員さんも、職員の負担が大きくならないように配慮してくれた

・戸籍情報はバックアップしてあったので大丈夫だった。これは助かった

・町長がいないことは、復興を遅らせ、住民の意欲も引き出せなくなっている。8月中に町長選を行う。新しい町長の元、一丸となって、難局を乗り切りたい

※田沼注:ちょうどそのことの記事が以下に。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110804/elc11080400550000-n1.htm

・職員のモチベーションは落ちている。でもみな、身内が被災している中、不眠不休で頑張ってきた

・3.11で人生が一変した。自分が公務員だ(という使命感)をこんなに感じたことはない。死ぬまで震災は続く

・心の復旧のためにも、国が希望を持てる方針を提示して欲しい




切実な訴えに、大変インパクトを受けました。

特に最後の方の、使命感や希望の話は、涙が出るほど感動しました…
私の2年ほどの議員人生の中でも、最大の体験の1つです。





そのあとは、実際に堤防を見に行きました。
決壊していました。。。
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港では、手作業で、このガレキを種類別に分別しているそうです。

気の遠くなる作業。。。

これは国の緊急雇用創出事業金でできるのが、救いとのこと。

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大槌でも各地に、船が残っていました。。

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この小さな旗は、どういう意味なのでしょう?

確か、赤旗が、もう廃棄してもらってよい、白旗は、資産として残す、だったような。。

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これは南三陸です。
またもや巨大な船が…

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気仙沼。中心街の撤去もまだ進んでいない感触でした。

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信号もまだ復旧しておらず、警官の方が仕切り。

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石巻。やはり巨大な船が、民家地帯に。。

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とにかくただただ衝撃の日々でした。

帰りは明るいうちに各地を視察しながら戻りましたが、

沿岸部はほぼ例外なく、すべて被災していました。

それだけ今回の震災は、巨大な範囲であることが、第一の特徴と思います。


なんとか第一次復旧は、各市町村やボランティアの皆さんの努力で、完了しつつあります。

しかし市町村の力ではどうにもできないレベルの復興が、必要な段階に来ているようです。

・仮設住宅は数年しか居られませんから、被災者の住宅を今度どうするのか、

・土地の移転はできるのか、

・生活再建のため、雇用は創出できるのか、

・ガレキは積み上げられていますが、それをどう撤去するのか、

・インフラは応急処置はされていますが、鉄道や堤防や公共施設なども市町村単独でやるのか、


これらに応える、国や県の方針が、切実に待たれています。



以上、視察報告です。


とにかく、これは、国難です。

日本中の日本人の力を結集して、

なんとしても、復興を成し遂げなくてはなりません。

しかも、早く!



先日の創新党フォーラムで、竹田恒泰さんも言っていましたが、

http://ameblo.jp/tanuma/archive2-201107.html#main

いま日本は岐路にあります。二万の御霊を犬死にとするか、否か。

「震災は人災だ」と言う人がいますが、

特に政府は、こういった課題に即座かつ真摯に応えなくては、

本当に政権のせいで被害が拡大してしまうことになるでしょう。

もちろん単に求めるだけでなく、私も自分のできることを探しつつ(こういった発信もその1つと思いますが)、

同時に政治の改善も求めていきたいと思います。



この震災で亡くなった方々は、この国を元に戻すために、命を捧げられた。

そう思って、その皆さんの姿を胸に、

私たちができることを、少しでも実際にやることから、始めましょう!



※ボランティアを希望される方は、こちらがお薦めです。
 最新のツアーも多数あるので、ぜひご覧ください!