東さん、面白いですね。共感です。


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●東国原知事「愛のムチ条例できないか」…報道陣に
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080618-OYT1T00628.htm


 宮崎県の東国原英夫知事は18日、学校教育の場や地域での子どもとの接し方について、「『愛のムチ条例』や、『愛げんこつ条例』ができないか。検討に値するかもしれない」と発言した。


 この日の県議会一般質問で、自民党県議が「昔は隣近所の年配の方からもよく指導され、げんこつをもらった。今は体の五感を使って学ぶ体験が少なすぎる」などと県教育長の見解をただした。


 閉会後、報道陣が最も印象に残る質問を尋ねたところ、知事はこのやり取りを挙げ、「私もそう(げんこつをもらった)でした」と述べた。さらに、「『愛のムチ条例』『愛げんこつ条例』ってのができないのかな。非常に難しいですね」と話した。


 「殴っても罰せられない条例ということか」と報道陣が確認すると、「愛をもって、愛のムチであるという範囲内で、宮崎県で条例化できないかと思う」と答えた。(2008年6月18日20時37分 読売新聞)

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ご本人のブログでも、また言っています。賛同者は80%とか。


○愛のげんこつ条例

http://ameblo.jp/higashi-blog/entry-10107882886.html





「体罰は暴力だから悪い」

その通りです。

しかし、ではなぜ、愛のムチ、愛のげんこつを、懐かしむ気持ちが、人の心にあるのでしょう。




それは、そのげんこつが、「真情」とでも言うべき、本気の心配ゆえだからではないでしょうか。




敬愛する福田恆存もこう言います。



殴る教育が悪いからといって、殴らぬ教育がいいとは申せません。


生徒を殴つてはならぬといふ原則があつて、しかも教師が怒りを発し、我を忘れて生徒を殴つたとする。それは悪いことかもしれない。


が、すくなくともその感情は本物であります。殴られた生徒は本物の人間関係のうちに置かれてゐるのです。


それにくらべて、自他を意識した教師のにこやかな説得の方が虚偽であるといふ場合が、いくらもありうる。


贋物(にせもの)の善より本物の悪の方が、ずつと教育的だといふことを、私たちは忘れてはならない。人間を信じるといふのはさういふことです。・・・






私は、8割の国民の皆さんと同様、げんこつ条例に賛成です。




もちろん具体化できるまでにはいろいろなハードルがあるでしょうが、そもそも大きな夢や理想がなければハードルすら生まれません。

実現可能性にこだわり過ぎることは、視野が小さくなるとおもいます。




人を信じられる、教育の再生に、これからも取り組んでいくつもりです。