早速、日本教育再生機構が開催する、シンポジウムのご紹介です。

しかし、、、日付けは、明日15日!

すみません、直前となってしまい、、、まだ当日直接会場にお越し頂いても、対応できると思いますので(立ち見かもしれませんが、、、)、ぜひお越し下さい!


実は今週、風邪をこじらせてしまい、ずっとへばっております、、、健康がとりえの田沼には珍しいことですが、、、

事務もいろいろ滞っており、各方面にご迷惑をおかけしているかもしれません。すみません。早く治します。




◇第2回教科書改善シンポジウム
「沖縄戦を子供たちにどう伝えるか」

http://kyoukashokaizen.blog114.fc2.com/blog-entry-8.html


okinawasympo
(ちなみにこのチラシをつくったのは、私です。パワーポイントマニアなので、、、)




客観的に、状況をご説明します。

沖縄戦の教科書記述について、いま言論界、政界で議論が起こっています。

沖縄戦での集団自決に「軍命令がなかった可能性がある」と、文科省が検定意見を付けました。

そのことに対し沖縄で、検定反対の県民大会が開かれ、多数の県民が集まりました。

それを受けて政府は、ちょうど新しい文科大臣が就任したこともあり、ぐらつき始めています。

焦点は、文科省が検定意見を撤回し、教科書会社の記述を元通り「日本軍の軍命による集団自決があった」とするかどうかです。



このシンポジウムは、文科省が意見撤回をせず検定を貫くことを求めています。

そもそも、はじめに文科省が検定意見をつけたのは、新たな学説が出てきていることを考慮した結果です。

実際の史実として、集団自決に軍の命令があったことは、裏付けられていないのです(集団自決自体は、悲しいことですが、ありました)。

史実と異なることは、県民が何人集まっても、それは政治的な力であり、感情論であって、史実ではない。

史実でないことは、つまりウソです。ウソは教科書に書けない。

このシンポジウムの第一の主張は、検定の貫徹です。



しかしながら、県民大会で何万人も集まることでも表れていますが、

沖縄戦で悲劇はありました。

集団自決自体も、軍命令ではありませんが、存在しました。

沖縄だけがたどった苦しい歴史、そこから生まれた沖縄県民の県民感情、心の傷に、私たちはどれだけ想いを馳せてきたでしょう。

凄惨な戦いの勇姿を、大田中将は「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノゴ高配ヲ賜ランコトヲ」と最期に打電し、自決しています。

そのことに真摯に応えるような「高配」を、後世の日本人、本州人は、してきたでしょうか。反省の余地があるのではないでしょうか。。。

このシンポジウムでは、このことについても、第2の論点として、取り上げます。




沖縄県民にも共感を呼べる、そして正しい史実に基づいた、真の沖縄戦史の教育の姿を、探ります。

それはひいては、日本人がずっと避けてきた、沖縄に基地を押し付けている現状の歪みに、否応無くたどり着くでしょう。

沖縄だけに基地を押し付け、たいした犠牲も払わず無料で平和を享受している私たち。口で「自立」を叫んでも、「自立の精神」は骨抜きになっていると言わざるを得ません。

沖縄の問題をしっかり考えることは、私たちの精神をしっかり確認することにつながるのです。




以上、沖縄の問題は、思った以上に根が深く、そして私たち自身の問題でもあります。

詳しい経緯や主張は、八木理事長等が書いた、以下の見解を、ご覧下さい。

http://kyoukashokaizen.blog114.fc2.com/blog-entry-7.html





それだけ複雑で重要なテーマを扱うわけですが、今回のシンポジウムは、登壇者がすごい!

空前絶後のメンバーです。

これ以上のメンバーはもうそろえられない、まさに”伝説のシンポジウム”とすら言えるでしょう。


ご存知、いまでは誰も議論に勝てないとまで言われる、日本最強の漫画家、小林よしのり氏のほか、

歴史学者の大家で、教育界でも最大の重鎮、伊藤隆氏、

昭和史研究の専門家、中村粲氏、

沖縄研究の第一人者、勝岡寛次氏、

沖縄の県民感情を研究し、ご自身が沖縄県民でもある、宮城能彦・沖縄大教授、

大江健三郎「沖縄ノート」は冤罪であると、本人を訴えて戦っている、いわゆる岩波・大江裁判の徳永信一弁護士、

そして私たち日本教育再生機構の理事長、八木秀次氏、


以上、最強のメンバーでお送りします!

新しい、真実の沖縄のとらえ方が、このシンポジウムから始まります!

当日受付もできますので、ぜひお越し下さい!





田沼も以前、以下のような投稿で、沖縄への想いに触れました。


○沖縄戦没者追悼式に寄せて

http://ameblo.jp/tanuma/entry-10037808189.html



私自身は、沖縄県民の皆さんに、深い感謝を感じています。

唯一の本土決戦です。国土で、地上戦が行われたのです。

彼らは本当に、勇敢に、献身的に、戦ってくれました。

なぜか。なぜ身を賭してまで、軍民一体となって戦ったのか。

それは日本を守るためです。



あの戦争は、侵略戦争の部分もあるかもしれませんが、間違いなく、自衛戦争の面もあったと、私は考えています。

(参考;http://ameblo.jp/tanuma/entry-10040279318.html

連合国軍最高司令官のマッカーサーですら、日本が戦ったのは自衛による理由が大半だったと言っているのです。敵軍の最高司令官が言っているのです!

少なくとも、沖縄県民や日本軍が戦ったのは、自衛のため、我が家族、我が故郷を守るためという心理がほとんどでした。

その犠牲を称え、後世深く感謝をしなくてはならないと、私は思っています。



もちろん感謝をすれば済む問題ではありません。たくさんの悲劇もありました。

であるならばなおのこと、本州の人間は、沖縄県民に、「後世特別の高配」をしなければならない、そう感じています。



しかし、実態としては、戦後、十分償えてこなかったとおもいます。そこが残念であり、反省すべきことと考えます。

まずなにより、沖縄は、純粋な日本国でありながら、27年間の占領が続きました。続けさせてしまいました。

本州はぬくぬくと急成長を遂げている傍ら、沖縄は祖国復帰の為に必死で戦いを続けていたのです。それが27年間も続いてしまいました。これだけでも、相当な心の傷を、作ったことでしょう。

もちろん、敗戦国日本の宿命であり、非力な日本の運命だったのかもしれませんが、せめてその苦しみを共感する視点を忘れてはならないはず。もし、自分たちだけが経済的繁栄にうつつを抜かしていたのなら、沖縄県民からの信頼が失われるのも当然です。


そして、基地です。現在沖縄は、日本にある米軍基地の75%を保有しています。誰もが嫌がる基地を、沖縄に押し付けているのです。

これで、私たちは沖縄に、償いをしてきたといえるのでしょうか。同胞の苦しみを分かち合うことができてきたのでしょうか。



更に、私が沖縄への感謝を強く感じるようになったのは、”千葉”もカギです。

ご存知のように、千葉は、沖縄戦後に、連合国軍が上陸を計画していた地域なのです。

九州上陸のオリンピック作戦についで、連合軍は関東への上陸作戦(コロネット作戦)を計画していました。

九十九里と湘南から米軍は関東に上陸し、一気に東京を叩く計画でした。1946年3月1日に上陸決行が、決定していたのです。

そうなっていたら、通過点である千葉は、当然沖縄同様の、決戦地となっていたでしょう。ポツダム宣言受諾が少し遅れていたら、本当にそうなっていたかもしれない。


これは空想ではなく、本当の事実です。千葉は、あと一息で、沖縄と同じ運命をたどったのです。

このことを知り、尚更、沖縄への感謝を感じるようになりました。



もうひとつのポイント。それは大田中将が、千葉県出身ということです。

千葉の茂原出身。千葉中学から海軍兵学校に行った、千葉出身の軍人なのです。

ちなみに夫人の落合かつ夫人も、今の千葉市中央区内の出身で、私も今日、すぐ脇を通ってきたところです。

千葉出身の軍人が、あれだけ沖縄県民のことを慮った不朽の電文を打ち、今でも県民に愛される立派な生き様をした方であることを知ると、同じ千葉人として大変な誇りを感じます。



今の沖縄は、心の傷の反動と言えばいいのでしょうか、反軍・反日思想に極端に偏っています。

現地メディアの報道は、常軌を逸した、完全な共産主義・左翼思想ベースの報道となっています。

「文科省の検定意見は正しい」などと言おうものなら、非県民とすらされかねない、全体主義的な空気となっています。

それが続いてしまっては、沖縄県民の心の傷は、癒されないでしょう。



まず、本州側、私たちが、認識と行動を改めるべきと考えます。


①沖縄のおかげで今の平和があることを、しっかり歴史教育の中に位置づけ、沖縄戦の犠牲に感謝と共感を抱くことです。

ただし、集団自決に軍命令があったとは、教科書には書けません。日本軍を過剰に貶めることは、許されないです。


②そして米軍基地の大半を沖縄に押し付けている現状を打開し、本土への基地移転の可能性について、検討すべきです。いままで通りに、金だけで解決するのでは、くさいものに蓋をするだけです。


③その上で、沖縄県民の良識派が力を持てるよう、時間をかけながら、沖縄県内の言論・教育を正常化していく取組みをすべきと考えます。




歴史認識は、私たちの感情と行動と決断に、大きな違いを生み出します。

明日のシンポジウムで、私自身も、更に見解を磨いて参りたく思います。