富岡八幡宮殺人事件!
・・・不謹慎ですが、テレビの推理ドラマのタイトルのようです。
刺殺された女性は折れた日本刀が首に刺さっていたそうです。
腕や指が切断されていたそうですから、倒れているところを上から
切りつけた時に、勢い余った日本刀が地面のアスファルトかコンクリ
ートに当たって折れたのでしょうね。
上質な日本刀は芯となる硬い鉄を、柔らかい鉄でくるむように叩いて
鍛えてあるので、簡単には折れないそうですが、よほど強い力で叩き
付けたのでしょうね。
犯行の動機をつづった声明文が、複数の場所に届いたそうですが、
「私の要求が実行されない時は、怨霊となって永遠に祟り続ける」と
書いてあるそうです。
この事件が平成の世ではなくて、平安時代のことであったなら、確実
に神社が建てられるレベルの事件です。
(当時は不遇に死んだ権力者の祟りを恐れて、魂をしずめる為に、
神社が建てられたりしました)
京都などにある御霊神社は、みなこのタグイです。たいていが怨霊を
恐れて建てられたモノです。
例えば悪霊を祭った「交通安全」の神社は、悪霊は誰でもよける。車
もよける。・・・と言った効能です。
富岡八幡宮殺人事件の容疑者も、百年たてば立派な交通安全の神
様になっているかも知れません。
それでも、今年の正月の参拝客は減るでしょうね。
当然ながら昼のワイドショーのレポーターが、それでも参拝している
客に向かって「何を祈願されましたか?」と聞くと思います。
↑ これ、確実です。線を引いて覚えておいて下さい
「家内安全を祈願しました」と言う人はボケのつもりでしょうね。
関西人なら言うでしょうね。
「毎年、来てるので来ました」は、面白くないので放送しなくて良いで
す。関西人なら、そのセリフは絶対に言わないでしょう。恥ずかしい
返答です。
若い人なら、インタビューされても何のことか分からない人もいるかも
知れません。
テレビも新聞も見なくて、スマホは持っていてもニュースは見ない人
は多いです。
つまり、事件自体を知らなくて、年中行事で参拝をしている人も多い
はずです。
そう言う人はアメリカの大統領も日本の総理大臣の名前も知らない
でしょうね。
【普段は仏教徒。クリスマスはキリスト教。新年は神道】ってヤツです。
まあ。アメリカの大統領も日本の総理大臣も知らなくても、生きて行く
のに困ることはありませんので、それはそれで良いでしょう。
【生きて行くのに必要無いこと】と言
えば、我が家のトイレに貼ってあるメモを思い出しました。
トイレのドアの裏側に、子供がトイレで用を足している時に暗記する
為のメモ書きが貼ってあります。
今は数学の公式が貼ってあります。・・・数学の公式・・・これからの
人生で、この公式がどれほど役に立つのでしょうか?
まず、「一度もお世話になることが無い!」と断言できるレベルの式
が、ズラズラと書かれています。
しかし! 「それを言っちゃあ、おしめえだよ」・・・ですね。
勉学に対する意欲を失わせることは言っていはいけません。
「見ざる。言わざる。聞かざる」です。
小学校や中学校の時は、自分にも為になるメモが貼ってありました。
恥ずかしながら「十二支」はアイマイだったのですが、メモのおかげで
覚えましたし、日本の県庁所在都市も全て暗記することができました。
(特技として飲み屋で披露すると「凄い」と言われます)
覚えようと思って覚えたワケでは無いのです。ウ○コを踏ん張りなが
ら見ていただけです。
・・・これぞ「門前の小僧、習わぬ経を読む」ってヤツです。
(クリック→ リンク 門前の小僧、習わぬ経を読む )
ああ。
生きて行くのに必要無いという言葉で、「愚行(ぐこう)」を思い出しま
した。
前にもここで書いたことがあるのですが、愚行の意味は、「生きて行く
ことに必要のないことで、やや愚かに見えること」だそうです。
(その最たるモノは冬山登山だそうです)
・・・なんだか完全に話がそれてしまいました。元に戻します。
殺人と言うのは、もっとも悪行と思われる行為ですが、神職と言って
も、そこらの人間と大して変わらないと言うことです。
(むしろ、苦労をせずに跡を継いだことによって、出来ていない人間
の方が多いかも)
(もちろん、まともな人もいますよ。念の為に言っておきます)
我が家の近くに、有名な神社があるのですが、そのすぐそばの居酒
屋に行くと自分より五歳ほど若い、次期宮司が若い修業中の子らを
数人連れて飲みに来ていることがあります。
(彼らは神社敷地内にある、寮に住んでいます)
一時は後を継ぐのが嫌で、普通の会社に就職していたのですが、使
えないヤツだったらしく、数年で帰って来たのは地元の者なら、誰も
が知っている話です。
その次期宮司が、若い子らに「何だかんだと」指摘をしています。
若い子らは「はい」としか言えません。
(あ~あ。パワハラだ)
いつも、そう思います。
サングラスとマスクをして、パチスロ打ってることを言ってやりたい
気分になります。
(八幡宮で犠牲になった方は、自身のブログで宮司らの酒席でセク
ハラ・パワハラは、当たり前のようにあると書いておられたそうです)
跡を継いだだけの人は、こんなものです。神主も、坊さんも、政治家
も、歌舞伎役者も、跡を継ぐ才能が親から子に伝わるものなのでしょ
うか?そもそも、そう言う才能に遺伝はあるのか・・・無いなら人間修
業くらいは頑張ってやって欲しいモノです。
かと言って、誰でも跡を継げるルールになれば、世の中は乱れるの
かも知れません。
下剋上があった戦国時代は、日本中で戦闘が行われていました。
徳川時代になって、アホでもボケでも、殿様の子
は殿様。家老の子は家老。の時代は平和でした。
才能は無くても、親から子に職を渡すのは、戦国時代から学んだ
「争わない」と言う、「知恵」かも知れません。
・・・などと、どうでも良い話に結論を付けたところで、本日は
終わりとします。
最後に本日の話の関連で、小説ブログへのリンクを貼っておきます。
リンク 【第三話 神様仏様(序)】
追記:
話は全く変わるのですが、ミスマガジンが七年ぶりに復活するそうで
す。
歴代グランプリを見ていると、今年いろいろあった「斎藤由貴」さんの
名前が出ていました。
1984年のグランプリです。
85年は「南野陽子」さん。86年は「浅香唯」さん。
・・・これってグランプリをとると、スケバン刑事が襲名できる、後継ぎ
システムだったのですね♪
少なくとも彼女らは自分の才能によって跡を継いだワケですから、
本当に立派なモノです♪
おわり。