前回のブログで書いた通り、モバゲー単車の虎では【乞食イベント】
の最終日です。
本当はブログ更新なんてやってる場合では無いのですが・・・。
たまたま熊本PR動画を見てしまって、書きたいことが
できたので更新することになりました。
(前に同じような話をどこかで書いたかも知れませんが、忘れてしま
いました)
PR動画は、熊本に「移住定住と観光誘致の促進」の為の動画です。
動画の題名は【熊本移住前夜・宮本武蔵】と言います。
実際に宮本武蔵は晩年に、肥後熊本藩の細川忠利の客分となって、
熊本で没しています。
PR動画の宮本武蔵は、俳優の宇梶剛士さんが演じていて、移住の
前夜の送別会が描かれています。
送別会には、佐々木小次郎も出ています。吉川英治さんの小説
「宮本武蔵」で、巌流島で決闘した「秘剣ツバメ返し」の使い手の
佐々木小次郎は、決闘時間にワザと遅れて来た宮本武蔵に焦らさ
れて、冷静さを失って頭を割られて敗れることになります。
PR動画では、佐々木小次郎は巌流島で死なず、仲良くなって
送別会に参加している そうです。
この佐々木小次郎にピンと引っかかってしまいました。
ネットで「宮本武蔵」を検索すると、巌流島の決闘が必ず載っていま
す。
もっと言えば「一乗寺下り松」の、吉岡一門との決闘も載っています。
史実のように書かれた文章を読むと、この二つの決闘が本当に
あったかのように錯覚してしまいます。
宮本武蔵は1584年に誕生し、1645年に没している実在の人物
ですが、講談や前出の吉川英治さんの小説によって、創作された話
が、実話のように認知されているものが多いです。
と言うより。
宮本武蔵の話の、ほぼ全てがウソと言っても間違
いないようです。
巌流島の決闘は1612年と言うことになっています。京都の吉岡一門
との対決はそれ以前です。
これらは完全に創作の話・・・つまりウソと言われています。
(ウソだ!と断定したいですが、少し遠慮しておきます)
宮本武蔵は、大坂冬の陣(1614年)と夏の陣(1615年)に参戦し、
その後、諸国を遍歴して、ハッキリ記録されているのは1634年~
没した1645年までのわずか11年間だけだそうです。
佐々木小次郎という人も実在した資料があるそうですが「巌流」と
いう流派の名前が記されているそうですが、武蔵と同年代の人では
なくて、もし武蔵と対戦していたとしたら、ちょっと考えられない高齢に
なってからのことだったそうです。
巌流島には武蔵と小次郎の決闘の碑があるそうで、観光客の中に
はガイドの方に「お通さん」の墓はどこにあるのですか?と、聞く
人もいるそうですが。
お通さんというのは、小説の中に出て来る武蔵の恋人ですが、当然
ながら創作です。
お通さんは実在しません・・・・。墓もありません。
・・・ここまで書いて来て、何が言いたいのかと言うと、PA動画の
佐々木小次郎と宮本武蔵が仲良くなるって筋書きですが・・・。
きっと、信じる人が出る のではないでしょうか。
映像の力って凄いですから・・・。
ウチのオヤジも新聞を読んで、あーだこーだ言っていますが、新聞
は新聞社によって書いてあることが真逆の場合がありますから、
確実に言えるのは、どの新聞も「ウノミにしない」と言うのが正解では
ないでしょうか。
と言うことで、佐々木小次郎は宮本武蔵と友達になりません!
・・・ん。・・・。
巌流島の決闘自体が創作ですから・・・別に二人が友達になっても
良いかも知れませんね。
こりゃ、失礼しました!
本日は、これまで!