ただで使えるものはただで使い倒す | 棚卸し

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このブログは私の人生を振り返るものです。
あくまで、自分の整理をつけるもののため、
コメントを一切受け付けません。
悪意のコメントなど見たくありませんので。

人の不幸な人生を見たい方、いらっしゃい。
そして、心から嘲笑えばよいでしょう。

私は基本、他人を支援する気はない。

私が「味方である」「助けるべきである」と判断しない限り、

助ける道理はない。

そして、私が味方である・助けるべきであると思う人間はほとんどいない。

他人は全て敵であり、助ける必要など微塵もない。

勿論、苦しんでいる姿を見てあざ笑うような悪趣味も持ち合わせていない。

どんな人間も敵だと思う以上、視野にはなるべく入れない。

 

そこで、ただで使い倒すの話。

これは、今の私の楽しみである「音楽」の話。

昔は水樹奈々を応援していたが、今は誰もいない。

正直、音楽を提供する連中は有象無象いるし、

誰かひとりいなくなったところで、音楽は生み出され続ける。

私が何かしらの形で、ミュージシャンに金を出す理由はない。

業界から消えようが、生活苦になろうが知ったことではない。

 

タレントは限りなく遠い場所にいる人間。

無関係も無関係だ。どうして、金を出すという

「極めて重大な関係」を持つことになるのだ。

ただで出されたものを使って、いなくなったらそれまで。

そうやって、タレント・ミュージシャンは

「私のために使い倒されれば良い」

他人に渡す金があるなら、自分の身を守ることに使う。

 

他人のために使う金。

相手との距離感、関係性を熟慮して使う範囲を決めると良い。

お金を多く使わせようとする関わりはさっさと切るべき。

金を使わせる、自分に傷を負わせてくる輩は敵。

そう考えて、他人に当たると良い。

付き合いが悪い程度で悪く言うような人間なら、

後の害悪を見越して、早めに見切りをつけるべき。

 

金は鎧となり、盾となる。

人を痛めつけてまでも奪うような強欲に求めるのは芳しくない。

だが、不要な場合は使わないで済ませる算段をつけるもの大事だ。

時には、自分を助けるため、お金の面では非情にならなければならない。