ボーっとしていることも過ごし方である。
それはよく判るし、無意味ではないとは思う。
ただ、私としてはあまり芳しいとは思えないので、
何かしらできたら良いな、なにかに手を付け始める。
そのなにかに手を付け始めるが問題で、
例えば、ブログの記事を書こうとする。
しかし、何故か書きたいと思うことが何も浮かばない。
むしろ、浮かばないように頭に抵抗されているようにすら感じる。
これは、やる気が起きない、という状態。
やる気が起きない場合、やり始める時がとても大変。
動摩擦力と静摩擦力という言葉をご存知だろうか。
摩擦が強いほど動かしづらくなる。
同じ物体でも、静摩擦力つまり動いていない時にかかる摩擦力は
動摩擦力つまり動いている時にかかる摩擦力よりも大きい。
言わば、なにもないところから書き始めるのは、
静摩擦力が掛かり、反発されてしまっている状態。
静摩擦力を動摩擦力にする工夫は、
書くためのテーマを決めたものをタイトルに打っておくこと。
私の場合、曲ごとに紹介することが多いので、
記事を書く曲を予め決めておいて、
その曲の周辺情報だけ書いておいて、そのまま残しておく。
そうしておけば、書くことは決まっているので、
静摩擦力ではなく、動摩擦力となる。
なので、私としては、常に先に書く曲を決めておければ、
ボーッとする時間も減らせる。
では、ブログを書こうにも抵抗されてしまい、
結果、手につかない状態になったらどうなるのか。
他のことをする。
動画を見てもいいし、少し手を付け始めたゲームをしてもいい。
いわゆる[遊んでいる]状態にして、時間を使えば良い。
そう、のんびりと時間を使えればい良いのだが、
それはそれでやはり抵抗されてしまう。
書くこともできない、かと言ってのんびりもできない。
結果、何をしていたのかわからない、無為な時間が生まれる。
普段から、上記に書いた[準備]を行っておけば、
動くことが出来るのだが、怠ることも非常に多い。
できないならできないで割り切れれば良いのだが、
どうも、体が言うことをきいてくれない。
特に、理想とするポイントを作ってしまっている
[例えば、上げるブログの本数を決めている]場合は、
未達の場合が非常に厄介。
記事を書かねばという意志はあれど体がついてこない。
でも、目標は未達なので他のことをするわけにも行かない。
非常に厄介な性分だ。
今年は、日記を1日1つ投稿することを決めたので、
実践していきたいのではあるが、上に書いたようなことで、
自縄自縛担ってしまいかねないと非常に心配しているわけで。
この性分、理解してもらえるかなあ。