以下のブログが、8月7日付、
公式ジャンル[音楽レビュー]にて第795位
公式ハッシュタグ[宇多田ヒカル]にて第5位
この投稿が、宇多田ヒカルタグでは、最上位になっていました。
それでは。
昨日の宇多田ヒカルの記事から入っていきましょう。
昨日の宇多田ヒカルの記事は、
・アルバム[DEEP RIVER]発売にあたり、
プロデューサーの宇多田照實が、CCCDでの発売を拒否し、
東芝EMIが受け入れた。
・収録されている3シングルは、
2002年度年間トップ10入りしている。
この2点について重点を置いて話をしました。
では、実際[DEEP RIVER]がどれだけ売れたのか、
ここから、入っていくことにしましょう。
[DEEP RIVER]は初動で235万枚、累計で360万枚と
2002年年間2位になった浜崎あゆみ[I am...]の230万を大きく離し、
[First Love][1999] [Distance][2001]に続き、
圧倒的大差で、年間首位を獲得しています。
前作[Disntance]の447万枚から、かなりの減退とはなっていますが、
シングルの売上の変動から、音楽の市場が縮小していくのが
目に見えてわかり、宇多田ヒカルのアルバムにも影響した、
ということであり、この状態での大衆の宇多田ヒカルへの関心は
何一つ失われていないことが、よくわかります。
シングル・アルバムが相変わらず、
音楽業界最高の成績をあげた宇多田ヒカル。
どうやら、この作品の制作によって、
ミュージシャンとして、大きく成長したようで、
アレンジにも大きく関わるようになります。
より強いプロ意識が芽生えたと、
共同プロデュースしていた三宅彰は口にしています。
ミュージシャンとして前へ進んだ宇多田ヒカル。
充実した活動を送れ、前進を続けていくと思えましたが
2003年1月のシングル[COLORS]の発表の後、
1年以上に渡る、活動休止期に入ります。
[COLORS]について書いた記事は、以下になります。
ここに、[COLORS]からベストアルバム、
そして再度の活動休止に入る前シングル[誰かの願いが叶うころ]、
の一通りの流れを書いてありますので、御覧ください。
上の記事で書き落としていたのは、宇多田ヒカルが[Utada]名義で、
海外向けのアルバムを制作していたことでした。
日本での作品については活動休止は、外進出のためだったのです。
海外向けのアルバム[EXODUS]が2004年9月8日に発表されました。
日本では、このアルバムからはシングルは一切切られていませんが、
アメリカでは、先行2シングル、リカット2シングルと
4曲がシングルカットされています。
宇多田ヒカルの世界への挑戦ですが、
正直上手く行ったとはいえません、
ビルボードアルバムチャートで160位と、
日本でのメガヒットと比べると、正直、
箸にも棒にもかからない成績としか言いようがないものでした。
アメリカでは、最終的には55000枚のセールスをあげたようですが、
日本でのミリオンセラーを記録したのと比べれば、
はっきり言って不発も不発といえます。
海外進出の難しさを、宇多田ヒカルに関わるスタッフは
あらためて強く感じたことでしょう。
宇多田ヒカルは、この結果についてどう受けたっとかは
正直わかりません。
宇多田ヒカルという人物が、通常の感覚で測れるような人じゃない。
常識が通用しないことを色々と起こした人なのです。
本人についても、全く読める気がしません。
そもそも、ヒットに興味が無いのか、作品の中身に自分が納得できれば良いのか。
[EXODUS]は、2004年度年間6位。
ミリオンセラーを達成しています。
ベストアルバムもダブルミリオンを達成して、首位を獲得。
総合的には、相変わらず宇多田ヒカルは強かった。
と言える年なのでが、2005年のヒットについて
大きな影を落としもしました。
そして、その象徴の一つとして
宿敵[浜崎あゆみ]の[memorial address][5位]に
[EXODUS][6位]が敗れていることがあります。
2002年度年間シングルチャートでの1敗のみだったのが
アルバムでも、黒星がついたことは
何か、不吉な印のようにみえるのでした。