[過去回想]2019/12/18 | けーの暇つぶしブログ

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私「けー」が特に何をするでもなく、
暇だなー、と感じながらなんか書いていきます。
コメントは解禁しますが、誹謗中傷は消します。
私は粘着する価値もない人なので、やるだけ無駄ですよ。

※過去日記が未発表だったので、

せっかくなので、出しておくことにします。

時系列の狂いは、そのためです。

タイトルの時系列でお願いします。

 

本部の忘年会。

去年夏から今の職場に来た。
これで2回目。
これまでいろいろな職場を渡り歩てきたため、
そんなに多くの忘年会に参加したことがない。
なので、僕からすると
「ここで一年過ごせてよかった」実感を
とても強く得られる。
今回の忘年会も本当に良かった。

本部の人が全員揃う忘年会。
そのため、百何人レベルで行われる。
さすがに、忘年会でも
職場にいるみんなと話はできない。
同じテーブルに着いた人と話をする。
時間も2時間と限られており、
なおさら、多くの人と話すのは難しい。
そこで思うのは、
話をする人の数ではない、ことと
より深い話をすること。
これにあると思えてならない。

さて。
同じ席に着いたのは
課長:本部をまとめる実働のトップ。女性。
A部門の係長:ここに長年勤める本部の生き字引き。女性
B部門の事務担当:数値の処理や思考に優れた切れ者。女性
Cエリア(いくつかの部署をまとめた地域)
管轄マネージャー:何気の僕と同い年、やりて職員。女性。
というわけで。
全員女性の卓についていたわけで。
そして、全員が僕と同い年以上。
もう、僕もおっさんなのだけど
なんとなく、びしっとはできない。


多く話をしたのはA部門の係長。
その方は僕と同い年のお子さんがいらっしゃる。
完全に、僕は「息子の視点」となるわけで。
話をする、というよりも
じっくり話を聞いてもらったといっていい。

僕もいろいろな経験をして
しんどいことばかりが記憶に残る。
心は常に荒波だって、安らぐこともなく、
人間不信にかられ。
いるばしょ、いるばしょ。ろくなことがない。
なんでそうなっているのか。
僕にもよくわからないし、わかりたくもない。

そんな過去の話をするのは
なかなかにためらわれる。
それでも、
ずっと抱えてきている病のようなもの。
膿を出すように、吐き出したくもある。
係長とは、あることで
僕と大きな接点があった。
そのため、
普段仕事場で絡むことはなくても
話しやすかった。

話が、僕の過去のことになり、
昔を一つ一つ思い出して、
とても辛くて、痛くて、しんどくて。
それでも、歯を食いしばって何とかしてきたこと。
※むしろ、何ともなってないか。
 いい年して、ろくな給料でもない、
 身分でもないから。
今の職場が、
今までの傷をいやし続けていること。
この職場の誰にも話さなかったことが
口を突いて出てきていた。

傷はいえている。
この職場には感謝してもしきれない。
それでもなお。膿を出せずにいた。
だから、この機会に
過去のことを聞いてもらえたことが
本当に心底嬉しく、
本当の意味で心の霧が晴れ
すがすがしい気持ちになれた。

おそらく。
仕事中にはできないこと。
忘年会の意義をかみしめて。
腰を据えて話をする機会に感謝して。
これから、もっともっと
気を入れて、仕事ができる。

 

 

 

 

 


本当にこの忘年会は
僕の大きな救いになった。

 


本部はワンフロアで
そのなかには役員もいる。
役員がフロアを歩き回っていたり、
職員と話し込んでたりする。
立場関係なく、職員同士の心も近い。
完全なヒラの僕にも
まったく気にかけることなく、
声をかけてくれる。

常務が忘年会の締めに話したこと。
この会社のこれからのこと。
職員に持っていてほしいマインド。
自分自身もこうしていくという宣言。
組織の上位部にいる人が
こんな考えであるなら、
うちは本当に健全に進んでいく。
常務の言葉を聞き、改めて感じた。

そのあと、帰途で。
常務と一緒になった。
締めで話していたことを
さらに詳しく伺おうと
質問をいろいろした。
常務の志の高さと
気持ちの強さを感じて、
ここでも感動を覚えた。
平社員が取締役と話せることは
他の企業ではほぼない。
その機会が、今の会社にはある。

この意味においても、
今の会社にいる意味や喜びを
今年の忘年会で
感じずにはいられなかった。

 

 

「日本って、人に優しくない国なんだあ」
国際機関から指摘されて、
世界中の人がそう思う証拠が
またしても上がってしまった。


「ジェンダーギャップ」
平たく言うと「男尊女卑」
同じ能力を持つ男女の間で
どれだけの扱いの差が生まれるか。
「女性」であることで
どれだけの不利益になるか。
それが「男尊女卑」
「男尊女卑」
=「男性が女性に優しくしない」
と言い換えられると僕は思うのです。


国際機関の調査で
日本のジェンダーギャップが
世界153か国中121位と
「相当男尊女卑ですね」
=「相当女性に優しくないですね」
と、強く指摘されまして。
政治部門についていえば
153か国中144位と
「ほぼほぼどの国よりも
 女性に全く優しくないですね」
と、またしても
強く言われてしまっているわけですね。


それこそ。
ネトウヨと呼ばれている人たちが
強く非難、侮蔑している
「中国」「韓国」よりも
低評価だったわけです。
「日本はG7にいるべきではない」
と、日本を強烈に批判する
外国メディアもあるようですね。

 

「女性について、
 もっと能力に注目して
 どんどん要職についてもらい
 バリバリ仕事をしてもらった方がいい。
 特に政治分もでは急務だ。」
と言うようなツイートしたところ
さんざん否定的なツイート
(俗にいうクソリプ)が集中したとのこと。


そのツイートには
ツイートしてきた人たちが見聞きした
「この人は人としてどうなの?」と思った女性の例が
山のように挙げられていました。
「女はこんなろくでもない連中だから
 そんな権利を与えるに値しない」
という理屈を並べているように見えましたね。


う~ん。
見えていないだけで
男性の中にも、そういう行動・思考を
している人は一定数いると思うんだよなあ。
逆に、女性だ何だ関係なく
立派に生きていこうという
志の高い人もいる。
割合に多少の違いはあれど
その心の在り方についていえば、
男性も女性も同じなように
僕には思えてならないんだけどな。


一部の悪い例を一般化して
女性を非難して、
「男尊女卑」を肯定するのは
早とちりのように見えるのだけど、
いかがでしょうか。


人に優しくする人と
人を傷つけ、けなす人。
どちらと関わりたいですか。
言うまでもないと思うのです。
そして、関わりたいと思われる方が
人としても立派だと言い切れます。
言い換えれば
「人に優しい人」の方が
「人としての格が高い」と
僕はいつも思っています。

 

今回
「日本人は女性に優しくない」=
「日本人は他人に優しくない」
と言い切られてしまいました。
この結果を受けて、
「日本人って、人としてレベルが低いんだ」
と、僕は悲しいかな、
思わずにはいられませんでした。


この結果を受けて
「人に優しくすることとは」
「自分は人に優しくできているか」
など、振り返ってみたいなと思うし、
少しでも多くの日本人にしてほしいとも思うわけで。
人に優しい人が増えれば
雰囲気のよい、生きやすい国になるのでは、
生活空間もよくなるんじゃないか。
そんなことを思っているから。

 


マスクの色。
様々な色をしたマスクを
街中のいたるところで見られる。
ほんの少し前は
マスク=白
だったのが、この変わりよう。
マスクにもファッションを
付け加える時代なんだなあ。

そんな時代だ、と感じてはいても
やはり、白以外の色のマスクには
違和感を感じることが多い。
特に、黒いマスクには
見るたびに驚くというか、
ちょっとした恐怖を感じさえする。
黒いマスクをする人のイメージが
暴力的なものであることが
大きな理由であると思う。

それは、刺青をしている人に似ている。
いまは海外の文化としての
「TATTOO」の意味合いが強く、
ファッションとなっている。
しかし、多くの人はそうとは思えないため、
「大衆浴場での入場を禁止」されていることが多い。
やはり、いわゆる「極道」が思い出され、
恐怖を与えるから、というのが
理由と考えられる。

もちろん、偏見なので
「TATTOO」をした人からすれば
「差別」なのは間違いない。
ただし。
感情的ではあるが
「公共の福祉」を害しているともいえる。
非常に対応が難しい問題ではあるが、
人の意識を変えるのは難しい。
そして、恐怖を感じる人が多数になるため、
そうせざるを得ない。

マスクについては
そこまでの影響や効果はないにせよ、
色の与える印象による気持ちの動きは
どうしても避けられない。
偏見と言われたとしても、
頭で考える理性ではなく、
本能的に感じる感情であること。
どうにもならないことでもあると、
認識してもいい。

この場合は、
色付きのマスクになれて
心の動きをなくすることが望ましい。
そうなるのを待つしかない。

 

障害と向き合っている人は
きっと高い「魂の座」についているに違いない。
「この上ない困難と向き合い、
 それでも、懸命に生きている」
これがどれだけの精神力を必要とするか。
常人には耐えがたい痛みが
常に続いている中にいる。
それをおしてなお、自らの役割を
まっとうしようとまっすぐに生きている。
こんな人が
「魂の座」が低いわけがない。
僕は、本当に尊敬してやまない。


世の中「生産性=カネ」=「モノ」を
あまりに崇拝しすぎているために
これらにつながらないものは
すべて「無意味」「無価値」とする。
重度の障害者に対する差別や
悪い感情を平気で示す人が後を絶たない。
その人たちの理屈こそが
「生産性がない」「迷惑な存在」だ。


物理的な生産がない。
世話する人への負荷が大きい。
そのために関わる人が不幸になっている。
その姿を見て、「障害者はいらない」を
「絶対的正義」とする暴挙がおきている。
僕が「魂の座が高く尊敬する」といえば
「実際世話してみればわかる。
 実際に迷惑で、不幸を与える奴らだ」
と返ってくることは目に見えている。


うん。そうかもしれない。
肉体の苦痛、金銭の苦痛を受ければ
悪い感情がわくのは普通なこと。
僕もそうなることも考えられる。
ただ、やってみなければわからない。
障害を持っている人が
僕にとってどんな人なのか。
どういう気持ちで接しているか。
僕の中にある条件によっては
そうはならないことも十分に考えられる。