晴耕雨読 -田野 登- -6ページ目

晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。

 

今朝、マンションの郵便受けを開けました。

高校の同級生の奥さんからの喪中はがきでした。

咄嗟に思ったことは、

彼の両親なら疾っくに亡くなられているのに…。

勘違いでした。

ご本人が5月に他界しているのでした。

思えば、後期高齢者である、我が身ゆえ

「ゴーンナザデイ」友たちが他界して逝く歳なんや。

昨日、郵便局に会社への届けを郵送しに出かけました。

我輩と同じ年頃の男性が年賀はがきを買いに来ていました。

「9枚下さい」「ハイ900円いただきます」とのやりとり。

900円に、ちょっとした驚き。

1枚100円なんや、切りのええ値やけれど高くなったもんや。

9枚には、そんなもんなんや、

「ゴーンナザデイ」の日々を送る身なんやと

今、感じ入っています。

年々、友人からの賀状が減り続けています。

職業柄、今年も同年輩の男性の10倍は書きます。

年々、減って昔の3分の1です。

今年の賀状にも本年を最後に云々とあり、

「年賀状仕舞い」が数通ありました。

「ゴーンナザデイ」の日々にあって寂しいご時世です。

昨日、罹りつけの医者に行きました。

足の浮腫みを心配して1カ月の前倒しで

血液検査を先月してもらいました。

「腎臓にも問題ありません、運動不足のようです」とのこと。

エッ?週二日、道路に立っての仕事をしているのに…?

どうやら、

間の日がパソコンに何時間も向かっているせいらしい。

「大阪人・折口信夫」の4回講義を2週間前に控えて

パワーポイント作成に大童。

福島区のコミュニティサロンでの

「なぜ正月はめでたいか」は12月第一土曜。

合間を縫って

年賀状作成に大阪市内の写真を撮りに行かなぁあかん。

折口信夫ゆかりの地を歩くとするか…?

年を越すのが年々えらくなって来ています。

「ゴーンナザデイ」の日々、

亡き友の訃報を知るのも

年賀状の仕来りがあってのこと。

変わりゆく日々に、

亡き友の友人に電話ならぬメールでも送ろうか?

浦江に帰って注連縄を掛けに行かなぁと思う日々を過ごします

今週の≪暮らしの古典≫150話は訪れる「神」です。

「テキスト」から「神」を探すことにします。

 *テキスト:「国文学の発生(第三稿)」『折口信夫全集1』1995年、中央公論社、

       原題「常世及び『まれびと』」1929年1月『民族』第4巻第2号

ここまで、お付き合いいただき、いまさら「神」とは?

いったい、如何なる論理でしょうか?

 

折口民俗学にあって、初春の来訪者は何者なのかを突き止めたいのです。

何処に「初春に訪れる者」に「神」を認めることができましょうか?

まず第4章「初春のまれびと」の冒頭から改めて読みます。

◆乞食者はすべて、門芸人の過程を経て居ることは、前に述べた。

歳暮に近づくと、来む春のめでたからむことを予言に来る類の

神人・芸人・乞食者のいづれにも属する者が来る。

 

今回は、このうちの「神人・芸人・乞食者のいづれにも属する者」を

『近世風俗志』「雑業篇」、「テキスト」を絡めて探究します。

「歳暮に近づくと、来む春のめでたからむことを予言に来る類の

神人・芸人・乞食者のいづれにも属する者が来る」とある「者」について、

時間を費やすことになります。

この長ったらしい一文に「神人」はあっても、懸案の「訪れる神」は、見えません。

予祝に門付けするモノが神人であり、芸人でもあって乞食者でもあるというのが、

折口の論理です。

まず「神人」以下を帰納的に探ります。

既に『近世風俗志』の「犬神人」は、神社に隷属する如何わしい「神職」でした。

テキスト第4章「初春のまれびと」の他の箇所に当ります。

引用箇所に続く箇所に、すぐに見当たります。

「鹿島のことふれ」が廻り、次いで節季候(セキゾロ)・正月さしが来る。

「正月さし」は神事舞太夫の為事で、

ことふれは鹿島の神人だと称した者なのだ。

 

「鹿島のことふれ」は「鹿島の神人」とあります。

「鹿島のことふれ」が芸人であり、乞食者だと云うのです。

もう一件テキスト第4章「初春のまれびと」にあります。

◆又、同期間に亙つて、江戸の中頃までは、懸想文うりが出た。

此は、祇園の犬神人(イヌジンニン)の專業であつた樣だから、

常陸帶同樣、当年一杯に行はるべき氏人の結婚の予言と見るのが適当である。

 

『近世風俗志』の祇園の「犬神人」は、初春、「結婚の予言」にも歩いていたのです。

『広辞苑 第七版』 ©2018 株式会社岩波書店の「懸想文」に

「細い畳紙の中に洗米2~3粒を入れ、男女の良縁を得る縁起としたもの」とあり、

この神人も芸人であって乞食者だと云うのです。

縁起物を売るにも多少、節を付けた章句を唱えていたことでしょう。

「神人」は、テキスト第4章「初春のまれびと」より前の

第2章「門入り」に見えます。

◆尊者の「門入り」の今一つ古い式は、平安の宮廷に遺つて居た。

大殿祭の日の明け方、神人たち群行(グンギヤウ)して延政門に訪れ、

門の開かれるを待つて、宮廷の巫女なる御巫(ミカムコ)等を隨へて、

主上日常起居の殿舍を祓うて廻るのであつた。

 

この場面での平安宮廷に「神人」は巫女を従えて殿舎を祓えて廻っています。

彼らを「来訪する神」とは記述していません。

時代が降ると如何?

第3章「簔笠の信仰」には違ったフェーズが見えます。

春・冬の交替に当つておとづれる者を、神だと知らなくなつて了うた。

或地方では一種の妖怪と感じ、又或地方では祝言を唱へる人間としか考へなくなつた。

其にも二通りあつて、一つは、若い衆でなければ、子ども仲間の年中行事の一部と見た。

他は、專門の祝言職に任せると言ふ形をとるに到つた。

さうして、祝言職の固定して、神人として最下級に位する樣に考へられてから、

乞食者なる階級を生じることになつた。

 

「テキスト」にあっては

「春・冬の交替に当つておとづれる者」が「神」という前提に展開していたのです。

その神を「妖怪」と感じるか、「祝言を唱へる人間」かであって、

人間には二通りあって村の「若い衆」か「專門の祝言職」だと云うのです。

「若い衆」となれば東北地方の「ナマハゲ」を私は想像します。

写真図 「ナマハゲ」イメージ図

この「神」は、以下の一文では「乞食者」ともありました。

「…祝言職の固定して、神人として最下級に位する樣に考へられてから、

乞食者なる階級を生じることになつた」とあります。

「春・冬の交替に当つておとづれる者」は「神」であったはずなのが、

「神人として最下級」の「祝言職」となるに及んで「乞食者なる階級」を

発生したと云うのが「テキスト」の論理なのです。

初春の来訪者は、神人であって乞食者である訳です。

この神人が「芸人」でもあると云うのは「芸人」の項で挙げます。

以下、俎上に載せた第4章「初春のまれびと」の如く展開します。

次の「芸人」や如何?

まず『近世風俗志』の雑業に「芸人」は見当たりません。

テキストでは、この第4章「初春のまれびと」の冒頭の「門芸人」と、

この箇所以外では「桂女」に「芸人」が見えます。

◆鳥追ひの女太夫ばかりでなく、室町・聚樂の頃までは、

年頭祝言に出る者に桂女(カツラメ)があつた。

将軍家の婚礼にも、戦争の首途にも、祝言を唱へに来た。

桂女は、巫女から出て、本義は失ひながら、

まだ乞食者にも芸人にも落ちきつて居ないものである。

 

「巫女から出て」とありますので、もともとは神に仕える身「神人」であったのが、

「乞食者にも芸人にも落ちきつて居ない」とありますので、

逆に云えばそれらの要素を兼ね備えているのでしょう。

祝言を唱えるのに節回しを付け、銭を貰いに歩いていたのでしょう。

残すは「乞食者」です。

結論が見えていますので、急いで折口の論法を明かすことにします。

 

究会代表

新いちょう大学校講師 田野 登

今年は夏から行き成り、冬になると報じられていました。

どうやら12月に冬が来るらしい。

一斉の衣替えがない職場では、各自の判断で冬服に着替えます。

かく申す私は、11月を目前に、昨日から冬にしました。

意に反して最高気温が22度を上回り日向では、

日射しが眩しい陽気で空振りでした。

30年程前、都市の生業の調査をしていた頃、

1年の商品の月別の違いは必須項目でした。

業界によって四季の違いはみられます。

何れの業界も季節を先取りします。

≪紅葉物≫を≪日々寸感28話≫に書いたのは9月21日です。

「さすがの猛暑も、明後日9月23日彼岸の中日を控え、

朝夕は涼しくなり、吹く風に心做しか「秋」を感じます」と

記したのは40日前のことです。

街を行く人たちの装いや如何?

衣食住においての四季の分節や如何?

秋の装いや如何?

肌感覚の季節に追われ、お洒落感覚など後回し?

どうも地下街を歩いて見た感じではパッとしない秋です。

冬はまだ先のようで、季節感の感じられない都会の秋です。

春・秋は移ろいの季節です。

春・秋は移行する傾斜の季節です。

それゆえ、古今の文人が詩歌をしたためたものです。

秋は浦の苫屋の夕暮れでした。

それが、急な寒暑の変化に揺さぶられ、気分も左右され、

伝統的季節感では、木枯らしが吹く頃、

降る雨は時雨と称され、

秋から冬のモードに移ろったものでした。

御堂筋の銀杏並木の色付きや如何?

夜ともなれば、

既に寒々とした電飾で演出されています。

写真図 御堂筋の電飾

LEDライトの色合いの毒々しさに、心が先に寒さを感じます。

プロ野球日本シリーズも昨夜で終わり、

猛虎打線は鳴りを潜め、真夏の夜の夢や、今いずこ。

今朝はもの憂い雨が降っています。

熊の出没は、北摂にまで及んでいます。

冬眠しない熊もいるとか?

冬支度に備えての人里への出没でないようで、

棲み分け異変なら、いっそ恐ろしいことです。

伝統的狩猟集団・マタギの知恵と技術が求められています。

戦後の農林政策による自然環境破壊の付けが

一気にまわってきたのかもしれません。

「内憂外患」前途多難のニッポン。

外患だけは、外交で何とか凌いで戴きたいものです。

行き成り来る冬は本格的な冬らしい。

この寸感が杞憂であってほしいものです。

浦江の破屋の秋や如何かな

前々回147話の結びに

148話は、折口信夫「初春のまれびと」を取り上げる前に、

「被り物」をとおしての『近世風俗志』「雑業」篇全般の読みを

均すための補足をしておくことにしますと記しました。

今回は、いよいよ「初春のまれびと」に取り上げます。

抑々、「初春のまれびと」は初出1929年1月、

「常世及び『まれびと』」『民族』第4巻第2号に

発表された論文の一部です。

『折口信夫全集1』中央公論社、1995年には、

「国文学の発生(第三稿)」として掲載された56頁にも亘る14章から成る論文の

第4章に掲載されています。

「常世及び『まれびと』」の構成は以下のとおりです。

 一 客とまれびとと/二 門入り/三 簑笠の信仰

 四 初春のまれびと/五 遠処の精霊 六 祖霊の群行

 七 生きみ霊/八 ことほぎとそしりと/九 あるじの原義

 一〇 神来訪の時期/一一 精霊の誓約

 一二 まれびとの遠来と群行の思想/一三 まつり/一四 とこよ

 

今回は「四 初春のまれびと」の記事を中心に読むことにします。

≪暮らしの古典≫149話のタイトルは≪門に立つモノ≫です。

「門」を「モン」と読めば守衛さんですが…?

子どもの頃の囃し唄を思い出します。

写真図1 豆狸イメージ 株式会社ザキプロ似顔絵

〽雨のショボショボ降る晩にマメダ(豆狸)がトックリ(徳利)持って

 酒買いに 酒屋のかどで瓶割って オマン(饅頭)一つで泣き止んだ

 

瓶を割ったのは「酒屋のかど」です。

酒屋の曲がり角ではなく、酒屋の門、酒屋の前です。

また拙著『水都大阪の民俗誌』「28 現代商人気質」の「長吉の立身出世歌」の

「わ」に挙げた章句にも「かど」は見えます。

◆わ  我親のかどをとふろと用なくば寄らぬがよるにまさる孝行

 

奉公の身である者が実家に立ち寄ることを戒めた句です。

「我親のかど」は奉公人の実家の前です。

この「かど」は門構え(もんがま-)のある立派な家の前ではなさそうです。

「常世及び『まれびと』」の「三 簔笠の信仰」に次の記述があります。

「門」の文字が見えます。

*「三 簔笠の信仰」:「国文学の発生(第三稿)」『折口信夫全集1』1995年、中央公論社、「三 簔笠の信仰」

◆大晦日・節分・小正月・立春などに、農村の家々を訪れた様々のまれびとは、

 皆、簑笠姿を原則として居た。

 夜の暗闇まぎれに来て、家の門から直にひき還す者が、此服装を略する事になり、

 漸く神としての資格を忘れる様になつたのである。 

 近世に於ては、春・冬の交替に当つておとづれる者を、

 神だと知らなくなつて了うた。

 

此処の「家の門から直にひき還す者」の「門」は、

家に付設された施設「モン」とも考えられます。

以下、読み進めますと「四 初春のまれびと」の直前にも

「門」という漢字が見えます。

◆古代には家の内に入る者が多く、近世にも其形が遺つて居るが、

 門口から引き返す者程、卑しく見られて居た様である。

 つまりは、単に形式を学ぶだけだといふ処から出るのであらう。

 

「門口から引き返す者」の「門口」は「かどぐち」と訓じて、

家の前の場所と考えられます。

以下は、この記事に続く記述です。

先ず章の標題「四 初春のまれびと」とあり、冒頭の一文を挙げます。

漸く懸案の「初春のまれびと」です。

標題の「門に立つモノ」が見えるやら?

乞食者はすべて、門芸人の過程を経て居ることは、前に述べた。

 

「乞食者はすべて、門芸人の過程を経て居る」とある、

「門芸人」は、「門付芸人」です。

『広辞苑 第七版』 ©2018 株式会社岩波書店の「門付け」に

次の記述があります。

人家の門口に立ち音曲を奏したり芸能を演じたりして金品を貰い歩くこと。

 また、その人。

 

「人家の門口に立ち」とあります。

「門口」の「口」は、人の出入りする所の意です。

そこに立つのは、

音曲を奏したり芸能を演じたりして金品を貰い歩く」人です。

本ブログの標題は「門に立つモノ」です。

「初春のまれびと」冒頭では「門芸人」でした。

「音曲を奏したり芸能を演じたり」する「人」です。

標題は「モノ」であって「人」と特定していません。

いったい、「門に立つモノ」は何者なのでしょう。

「初春のまれびと」の引用を続けます。

◆歳暮に近づくと、来む春のめでたからむことを

 予言に来る類の神人・芸人・乞食者のいづれにも属する者が来る。

 

写真図2 ものよし「物吉」 

     『人倫訓蒙図彙』七巻 国立国会図書館デジタルコレクション

来春・新年を予祝する「者」が来るというのです。

次回、この「いづれにも属する者」を『近世風俗志』記事とも

照らしながら、まずは折口の論理を辿ることにします。

 

究会代表

新いちょう大学校講師 田野 登

毎朝、ある在阪のテレビ局は、

「行ってらっしゃい」を声を揃えてパフォーマンスしています。

それが嫌でという訳でもありませんが、

ずっと他局の番組を観ていましたが、その番組が打ち切られて、

全国ネットになって以来、「す○〇んロス」に罹って、

朝から7時のニュースが始まるまで

民放のチャンネルを放浪しています。

それはさておいて「行ってらっしゃい」という

朝の見送りの言葉は「行く」の命令を

丁寧な口調で包んで言っているのか、

そうとなれば、何とぞんざいな言い方かと思っていました。

それが「行って帰っていらっしゃい」の

「帰って」が抜けた言い方とか?

それであるならば、餡なしのアンパンです。

子どもの頃の朝の見送りの言葉を思い出します。

父が工場に出かける時、「行ってきます」と家族に言います。

「行って参じます」「行って参ります」とまでは言わないまでも

「行ってきます」と丁寧な言葉で言ってました。

家族たちは「おはよかえり」と声を掛け、

とりわけ子どもたちは手を振りながら言っていました。

もっとも我が家は、子どもたちは二人だけでしたが…。

「おはよかえり」「お早うお帰り」は、

無事に仕事を終えて「お帰りなさい」の

気持ちを込めて言っていました。

朝の見送りの言葉は、無事帰還を期す言葉です。

朝は、一日の始まりの特別な時間でした。

親は神さまにお光を挙げ、

仏さまには線香を立て、蠟燭に火を点していました。

親からは、朝、諍いをすることは戒められていました。

朝、家人が家を発つのは、

それが最後の別れなのかもしれません。

そのように親から教えられていました。

朝は出で発ちの時間です。

「行ってきます」と「お早うお帰り」は、

その時に交わす言葉です。

日常、交わす挨拶、言葉にも人と人との、

さりげない心の温もりを感じ合うものです。

はたして、今日、そんな心の温もりを

忘れかけていないでしょうか?

日本民俗学の父・柳田国男の

幼き子の言葉を再読したくもなりました。

今朝は暮しに根付いた、さりげない言葉を取り上げました。

幼き頃の浦江の家での朝の一齣を思い出しながら、

日々寸感として、綴りました。