今週の「暮らしの古典」は81話≪難波の澪標(4)≫です。
前回、近世における難波の澪標について≪澪「みを」≫を
糸口に展望してみようと予告しました。
西鶴の*「好色一代女」に「水串」が見えます。
*「好色一代女」:『井原西鶴集①』『新編日本古典文学全集』小学館、
1996年、巻三、「調謔歌船」
都鳥は陸[ルビ:くが]にまどひ、蜆とる浜も
*抄み[ルビ:つま―]菜の畠とはなりぬ。
むかしに替り、新川の夕眺め、鉄眼の釈迦堂、これぞ仏法の昼にすぎ、
芝居の果より御座ぶねをさしよせ、呑み掛けて酒機嫌、
やうやうえびす橋より西に、
ゆく水につれて半町ばかりさげしに、はや、この舟すわりて、
さまざまうごかせどもその甲斐なく、
けふの慰み*あさくなりておもしろからず。
長々と西鶴の浮世草子を引きましたが、
およそ、この屋形船は、難波「ナンバ」の鉄眼寺から道頓堀を西へ
木津川に出て「新川(安治川)の夕景色」を眺めようとするのですが、
戎橋の西で浅瀬に乗り上げ、
にっちもさっちも動けなくなる始末を綴っています。
「難波津や入江も次第に埋れて、水串も見えずなりにき」とあって、
「水串」が立つ深い場所に土砂が堆積し
見えなくなっている様が叙せられています。
この「水串」には「みをづくし」のルビが振られています。
頭注には、「澪標(澪(みお)の串の意)」と見えます。
これを国会図書館デジタルコレクション(請求記号WA9-7)の画像で
ルビを確認しました。
写真図 国会図書館デジタルコレクション(請求記号WA9-7)の画像
「調謔歌船」の3行目下から6字目5字目に「水串」と見え、
ルビは「みをづくし」とあります。
いっぽうで『日本船路細見記』には、「みを」を冠する語彙が散見する中に
「水尾木」が見えます。
『江戸明治所処湊港・舟船絵図集並・改正日本船路細見記』
日本地図選集第七巻、人文社発行、1977年刊
『日本船路細見記』について*『海事史料叢書』の「解題」には、
「船乗必携の書であつて、当時の和船に備へられた所謂虎の巻」であって、
「元禄頃から各種断片的に存在したもの」で「創作的のものではない」と
解説しております。
*『海事史料叢書』:住田正一編纂『海事史料叢書』第8巻、
1930年、巌松堂
『日本船路細見記』には、近世大坂の河口部を次のとおりに記述しています。
◆大坂の南川口を木津川といひ北の川口を安治川といふ。
いづれも廻船の出入あり
〇用としてこゝに達するにとゝなはずといふ事なし。
凡諸国第一の大みなと也。
右両川口ふねどをりの左右に水尾木有。
片側に十本づゝ、その川上にあるを十番といひ沖にあるを壱番といふ。
また沖を一の洲といふ。
みをどをりのほかは瀬多し。
地方は住吉大明神
〇大和川是ゟいづみの内也(以下略)
木津川、安治川の「ふねどをりの左右に水尾木有」とあります。
「水尾木」にはルビ「みをぎ」が振られています。
また「みを木のそとを大だなといふ」ともあります。
「水尾木」にはルビ「みをぎ」が振られ、
澪標「みをつくし」を有り体に使った言葉でしょう。
近世初頭の語の発音に忠実な『日葡辞書』に
*邦訳『日葡辞書』:土井忠生ほか編訳『邦訳 日葡辞書』
1980年、岩波書店
◆Miuogui.ミヲギ(澪木)水路を知るために打ち込んである木,または,杭.
「みおぎ(澪木)Miuogui」はあっても、「みおつくし」は見えません。
時代を降るところの『和英語林集成』に当ることにしました。
『和英語林集成』につきましては、
*明治学院本の「解題」に次の記述があります。
*明治学院本:『美国平文先生編譯『和英語林集成』』2013年、明治学院
◆『和英語林集成』には、19世紀中葉以降-幕末・明治期の日本語を
しりうる資料として、広く各分野で活用されたことばが収録されている。
幕末・明治期の日本語を載せる*『和英語林集成』に
「みを」「みおつくし」「みをぎ」を探りました。
『和英語林集成』:J.C.ヘボン『和英語林集成』1980年、講談社学術文庫
◆MIO ミヲ 水路 n, A channel through which a boat or ship
may pass.
これには、「みをぎ」が見当たりません。
「みをくひ」「みをじるし」ならあります。
◆MIO-GUI ミヲクヒ 澪標 n. Graduated post planted in shallow water to show the height of the tide,or mark the channel. Syu. SHIO-MIBASHIRA, MIO-TSUKUSHI.
◆MIO-JIRUSHI ミヲジルシ n. A buoy or post for shewing the channel, a tide-mark.
「ミヲクヒ」の訳語に「澪標」が宛てられ、
「Syu」(シノニム)同義語に「MIO-TSUKUSHI」が見えます。
前回、「澪」を「みを」と訓じ、水路の意味を持たせるのは、
国訓であると述べました。
今回「ミヲ」を冠する一連の語彙をあげる作業を通して、
後世、大阪市の市章となる難波の澪標「みをつくし」が
有する雅語・歌語としての性格が仄かに見えてきました。
大阪民俗学研究会代表
大阪区民カレッジ講師
大阪あそ歩公認ガイド 田野 登