外島保養院入院者の見た中島町界隈(1) | 晴耕雨読 -田野 登-

晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。

昨日、2018年7月2日は午前中、
大阪区民カレッジ天王寺校で
「水都大阪の異界への旅」を話し、
午後は中之島図書館に出かけました。

 

7月22日(日)、西淀川図書館での郷土史講演会
「室戸台風以前の中島周辺の世界」の
資料収集のためです。
写真図 郷土史講演会チラシ

そんな中で、西淀川図書館から
借り出した図書に
*『風と海の中』があります。
 *『風と海の中』:
 『風と海の中―邑久光明園入園者八十年の歩み』
 1997年第2版発行、邑久光明園入園者自治会
  第1版1989年

 

この記念誌の「発刊にあたって」には
「入園者の苦難な療養生活の歩みと
悲惨な歴史の貴重な証言」として
発刊された趣旨が綴られてます。

この際、講演準備を兼ねて
《外島保養院入院者の見た中島町界隈》を
覚書しようと思います。

 

同時代に、同じ中島という島に生きた
ハンセン病患者であった
外島保養院入院者が
この島のことを
どのように認識しているのかを
確かめたいのです。

 

『風と海の中』の冒頭近くに
次の記述があります。

●*この辺りは
 神崎川が幾つにも分かれて
 デルタ地帯を造っている所で、
 大小幾つかの中州が島をなしており、
 保養院のあった島は北に中島、
 南に布屋などの地区があったが、
 人口はごく少なく、
 大方は葦の生い茂る湿地帯で、
 幾らか開発された所には
 畑と牛の放牧地があった程度の所であった。
  *この辺り:外島保養院のあった場所

 

この記述が
どこまでが保養院入院者の
実際の見聞に基づくものかは、
疑わしいところですが、
著者兼発行者である
「邑久光明園入園者自治会」による
外島保養院のあった場所についての
認識であることにまちがいありません。

ボクが興味を引かれたのは、
この地の地勢を
「葦の生い茂る湿地帯」とし
開発された場所の土地利用を
「畑と牛の放牧地」と
記述しているところです。
これでは、まるで
まさに臨海部に広がる荒蕪地です。

 

*小学校記念誌では
布屋についての
牧歌的な記事は見受けられましたが、
外島保養院のあった場所については、
触れられていないだけに
さもありなんと合点したりします。
  *小学校記念誌:
  『九十年のあゆみ』1963年発行
  『100年のあゆみ かわきた』1973年発行
     大阪市立川北小学校発行

 

次回は
証言としての『風と海の中』記述を
取り上げることによって、
中島町界隈の
「室戸台風以前」に
一歩、踏み込みたいと思います。

 

究会代表
『大阪春秋』編集委員
大阪あそ歩公認ガイド 田野 登