市岡高校「澪標」のこと(3) | 晴耕雨読 -田野 登-

晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。


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創立の年明治34(1901)年6月に
作詞作曲された「創立記念の歌」には無くて
5年後の明治39(1906)年に制定された
現在の校歌にあるモノは
「澪標」です。

 

「澪標」は水脈つ串。
大阪港のシンボルです。

 

本ブログ《学校に出た狸の顛末① 
 :2017-03-16 14:09:09》に
当時、学校の前を行く
名物電車を記しました。

    ↓ここをクリック

https://ameblo.jp/tanonoboru/entry-12256897483.html

 

その一節に次の記述をしました。

◇・・・・「魚釣り電車」と
 親しくも揶揄されていた車両が
 花園橋から築港桟橋間に導入されたのは
 明治36(1903)年開業の翌年のことです。
 ちょうど、「第一期生が在学している頃」と重なります。
  「築港」は魚釣りの名所でした。
 つい10年程前まで「新田」と称されたこの地に
 「学校」「築港」「市電」が出現する時代のことです。

 

築港大桟橋が完成したのは
明治36(1903)年のことで、
現在の校歌が制定されたのは
その3年後の明治39(1906)年のことです。
校歌に
「・・・・流れて止まぬ澱江の
波路の末の澪標」を謳歌したのは、
築港建設の機運が
高まっている矢先のことです。

 

『市岡五十年史』1951年、玉田義美編纂兼発行を読みますと、
名辞「澪標」の最初の使用例は、
現校歌歌詞でないことを知ります。

 

◇・・・雑誌「澪標」は
 *明治35(1902)年11月9日第1号が発行された。

 

雑誌「澪標」創刊の明治35(1902)年は
創立1年後のことです。
その「澪標」の謂われや如何?

 

『市岡五十年史』記事の続きを載せます。
◇・・・・そもそも澪標即ち「みをつくし」とは
 海中に立てられた航路標識である。
 本校が西大阪港湾地区に位置している関係で
 海に縁の深いこの「みをつくし」が
 題名として適しいとされたことは間違ないが、
 只それだけではなくもっと精神的な意味、
 即ち人の世の荒波に対しても
 常に道を誤ることなく
 進ましめるという意味を、
 この「みをつくし」に含ませたのであろう。

 

 「人の世の荒波に対しても
 常に道を誤ることなく・・・」とは、
『市岡五十年史』編集者が読み解いた
校歌に込められた教訓であります。

 

市岡卒業生に懐かしい
中庭「澪標園」については、
次回にまわしましょう。
『市岡五十年史』掲載の写真を
アップすることにします。

 

市岡高校20期生は
人の世の荒波に揉まれながら
今春卒業50年を迎えます。
2月28日(水)の卒業式に招待されています。
式後、
母校同窓会館にて物故者哀悼に引き続き、
ささやかな懇親会を開催します。
懇親会だけの参加者が結構おられます。
今なら、まだ間に合います。
 詳しくは
  ↓ここをクリック
https://www.reihyo.com/
市岡高校同窓会HPの
「20期生の懇親会のお知らせ」

 

究会代表
 『大阪春秋』編集委員 田野 登

 

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