市岡高校「澪標」のこと(4) | 晴耕雨読 -田野 登-

晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。


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前回、「市岡卒業生に懐かしい
中庭「澪標園」については、
次回にまわしましょう」と予告しました。

「ちょっと待った」です。


「澪標」を冠する事物は、他にもあります。
「澪標文庫」というのが、
学校創立の頃、あったようです。
今回も
『市岡五十年史』1951年、玉田義美編纂兼発行を引きます。
◇一、澪標文庫と雑誌澪標の発刊
 *明治35(1902)年度校友会は
 新たな事業として
 文庫の設置と会誌の発刊とを行った。

 

前回、「澪標」の謂われの説明に
会誌「澪標」をとりあげましたが、
同じころ「澪標文庫」が設置されたようです。

 

「文庫」というのは今でいう図書館で、
場所を二転三転し、
坪井校長は日露戦争の戦勝記念として
文庫新築の計画を立てられていましたが、
転勤のために実現しなかったとあります。

 

それでも校友会入会金で以て
図書購入に充て明治38(1905)年度には、
蔵書数2550冊に達したとあります。

 

その他「澪標」を冠する施設に
「澪標会館」があります。
◇更に*明治44(1911)年には
 盛大な十周年記念式を挙行、
 澪標会館の建設と

 西区一円の地図作成とを行った。

 

 「澪標会館」につきましては、
他に記述がみられません。
懸案の中庭「澪標園」ですが、
実は

20期生(昭和43(1968)年卒業生)のボクが知っている
「澪標園」は、
二代目なのです。

校舎自体、二代目なのです。

 

初代は木造校舎でした。
『市岡五十年史』には、
「大正13(1924)年12月

校舎が炎上したこと」が記されています。

 

そして二代目校舎の完成を

次のように記述しています。
◇之以来2年間がバラック時代、
 その間新校舎の建築は着々と進捗して、
 遂に*昭和2(1927)年6月
 東洋一を誇る白亜の殿堂が完成したのである。

写真図 「東洋一を誇る白亜の殿堂」
        『同窓会報』第44号 昭和15年12月号表紙
    市岡中学同窓会発行
    大阪府立中之島図書館所蔵

「東洋一を誇る」は、在学中に
先生方から聞かされて話です。
何が「東洋一」なのか?
もしかしたら「東洋一」がたくさん、あるのでは?

何はともあれ、懐かしい!

車寄せのある正面玄関です。

藤棚もあります。

 

いよいよ「澪標園」なのですが、
話が長くなりますので、
次回まわしです。

 

市岡高校20期生は、
2月28日(水)、70期生の卒業式後、
母校同窓会館で
懇親会を開きます。

同窓会からの郵便が届いていない方々、

歓迎します。
世話人一同、同期生との再会を
お待ちしております。

 

詳しくは
  ↓ここをクリック
https://www.reihyo.com/
市岡高校同窓会HPの
「20期生の懇親会のお知らせ」

 

究会代表
 『大阪春秋』編集委員 田野 登

 

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