神崎川・淀川デルタ地帯を歩く(1) | 晴耕雨読 -田野 登-

晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。

 

6月23日(金)、
西淀川区中島の五社神社に伺ったついでに、
神崎川・淀川デルタ地帯を
防潮堤に沿って歩きました。

 

神崎川に架かる城島橋を渡れば
西島です。
まず西島の東の突端まで
神崎川左岸(南岸)を溯ります。

そこからは、西島川が淀川に向けて
南に流れています。

 

ここでは右岸(西岸)を南に西島地区を歩きます。
対岸は、出来島です。
今回の探訪のきっかけは、
五社神社の宮司が兼務されていると聞いた
西島住吉神社を訪ねることでした。

 

堤防沿い道路の右(西)は中山鋼業です。
西島橋を過ぎ、阪神高速5号湾岸線の
架橋にさしかかる手前に
西島住吉神社に鎮座ましました。
写真図 西島住吉神社

掲示板の「西島住吉神社御由緒 略記」(平成20(2009)年記)に
以下の記述があります。
(漢数字は算用数字に改める)
この地の歴史を知る上で
興味深い資料です。


◇元禄11年(1698)九条村の池山新兵衛が
 420両を納めて開墾し、
 佃・大和田の対岸より西にあるところから
 西島と名付けられた。
 開墾の折、この地の守護神として
 住吉四柱大神を勧請し、
 子々孫々に心を受け継ぎ御加護を戴き、
 今の地の発展につながっています。
 
この西淀川区、此花区、港区のかつての新田地域には
開発にあたり住吉四柱大神を勧請することが多くあります。
御由緒を続けます。
◇…*明治42(1909)年内務省発令の合祀令により、
 五社神社に一旦は合祀されたものの、
 その後*昭和22(1947)年正遷宮祭
 (御祭神がもとの宮に遷られる祭事)が
 執り行われています。

 

明治42(1909)年内務省発令の合祀令の後、
元の地に復することは、
中河内の神社でも複数聞きました。
産土(ウブスナ)への思いは、
50年近くを経た、戦後、昭和22(1947)年
遷宮を実現させました。

御由緒の続きは、
次回に記します。
この地の、往時の風景が述べられます。

 

究会代表 田野 登