子取りに浚われたという話 | 晴耕雨読 -田野 登-

晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。

今日は市岡尻無川コースをガイドします。
マップを広げました。

写真図1 「大阪あそ歩」マップ




「新田西瓜は種まで真っ赤」とあります。
自分自身、制作にかかわりながら
いうのは、なんやけど
「は」は要りませんネ。


この謳い文句は、けっして
真っ赤な嘘ではないまでも
「種まで」というのは誇張してます。
本番では挿絵でお目にかけます。
南御堂の穴門で西瓜にかぶりついている方の
口をご覧にいれます。
まるで鬼女です。


子取りに浚われた娘との再会の話は
昭和になった頃、
夕凪橋の北の堤の先にあった
郊外型遊園地「市岡パラダイス」での噂話です。
新聞紙にも載ったようですが、
仕掛け人は、いったい誰でしょう?


写真図2 「市岡パラダイス」跡地

中央の突起物は昭和初期の遺物?



「夕焼け小焼け」は
誰しも歌ったことがありますよネ。
あの歌は
ボクにとっては、

とても怖い歌でした。
あの「ことりがゆめをみるころは・・・・」のくだりです。


子どもの頃、
夕方、表で遊んでたら
親から聞かせられました。
「子取りに浚われ
 サーカス団に売り飛ばされ
 酢を飲まされ

 骨を軟らかされて
 曲芸させられる」なんぞと。

「ことり」は「子鳥」ではなく、
「子取り」とばかり思っていました。
モトヤマシゲヒサとかいう誘拐殺人犯が
実際にいました。


ボクの父が尋常小学校を上がった(卒業した)
昭和の初めは、
時あたかも、

市岡パラダイスのあった時代です。
父は丁稚奉公に出されたそうです。
雇い主の鉄工所の親っさんから
「お前は大正9年の申年生まれやから
 秀吉(ひできち)にしておこう」と
渾名されたとか。
その実、
丁稚奉公というのも
貧しい家庭の口減らしなんですよネ。


それと、今も山上で舞っている
生駒遊園の飛行塔。
あの飛行塔。
実は「市岡パラダイス」のが
閉園になった時、
身売りしたってホンマの話?
今日も都市伝説の世界を
たっぷりお話ししましょう。


市岡パラダイス跡地と

磯路桜通りは
両方のコースに共通するスポットです。
本日2016年4月6日
1時にJR弁天町駅南改札からスタートします。
安治川コースは明後日、2016年4月8日です。


究会代表 田野 登