生涯学習としての民俗学のススメ | 晴耕雨読 -田野 登-

晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。


6月1日(月)大阪市・北区民センターで
「伝説化する蛸の松」を話しました。
早速、大阪区民カレッジの大橋清氏に
レポートを頼みましたところ
メールでお応えいただきました。


●先週に引き続き、
 6月1日(月)午後、
 大阪区民カレッジの講座として、
 田野先生に「中之島蔵屋敷・蛸の松の伝説」を
 ご講義いただきました。
 講義では、豊富な画像を駆使して、
 現在の中之島の様子を概観した後、
 蛸の松伝説の紹介と
 戦国武将との結びつきを論じていただきました。
 午前中に「中之島蔵屋敷探訪」ということで、
 中之島界隈をまち歩きした後でしたので、
 理解が深まったとの声も数多く寄せられました。
 平均年齢70歳の高齢の方々ですが、
 皆さん好奇心旺盛で、
 メール会員希望の方も現れました。
 先生の講義をきっかけに
 民俗学に興味を持っていただければ、
 カレッジの講座を始めた成果の一つかなと考えています。


以下、田野による書き込み。
「大阪区民カレッジ」の講師を勤めて
6月1日で2度目でした。
平均年齢はボクより5歳ほど上の方々なのですね。

大橋氏の云われるように
「講義をきっかけに
 民俗学に興味を持っていただければ、
 カレッジの講座を始めた成果の一つ」となることを
期待しております。


ボクは大阪城南女子短期大学で
生涯学習論の講義をしたことがあります。
学習と勉強は、よく似ているようですが、大違いです。

学習は、喜びです。
勉強は、苦痛です。
前者は、知ることの喜びを体験するものです。
後者は、辛いことを重ねて、何かを獲得しようとするものです。
「勉強」の「勉」に女偏をつければ分娩の「娩」に通じます。
「勉強」の「強」は弓偏で男が戦いに出かけて弓を弾く行為です。
いずれもきついことです。

これは若い学生には耐えねばならないこともあります。
「勉強が好きだ」という学生や生徒がいましたら、
勉強により獲得するであろう成果、地位、金銭に
喜びを見出そうとしているからなのでしょう。
あるいは向上心からでしょう。

従来、日本の学校教育では、
勉強を強いて
学習を後回しにすることがありました。

ボクが今回の
生涯学習の一環である「区民カレッジ」の講師を
引き受けしましたのは、
「学びて時に之を学ぶ
亦楽しからずや」の心境に至られるのの
お手伝いしたいからです。
本来の学問の楽しさを共有したかったからです。


ボクより先輩の方々は
よほど人生経験が豊かで
現役の頃は、専門分野においては高い識見を
お持ちの方々です。

ボクがこのような生涯学習の講師を勤め始めて
日が経たない頃のことです。
受講生の方たちから誘われて一杯飲み屋に入りました。
そこで聞かされたことばが忘れられません。
「先生。ワシらながいこと
上から言われたことをやらされてきました。
何を今さら、『ご意見を提案してください』ですか!
ワシらカネ出して先生の話を聞きに来たんや」と
一喝されました。


ボクは生涯学習講師の当初、
ワークショップなど
参加型のプログラムを企画しておりました。
それはあきませんでした。
それは人生の先輩方相手に通じませんでした。

だから、このごろ
作成したPowerPointで気楽に
お付き合い願っているのです。

それでも、ボクのお話しする分野が
「民俗学」という知らないようで
ご存じの世界です。
昔のお祭りのことや
仕事のことやらでしたら
ボクの言葉が呼び水となって
次々と思い出されることがあるでしょう。
ちょっと切り口を変えれば
ご自身に内蔵されている
豊かな世界に気づかれることでしょう。


勉強から学習へ。
さらにお互いの経験を持ち寄って
研究まで踏み出しましょう。
好奇心旺盛なシニア・アクティヴの皆さん、
元気な高齢者の皆さん
一緒に遊びましょう!
人生、須べからく遊ぶべし!
自分の生きてきた世界を探訪しましょう。

冠婚葬祭、年中行事、しきたり、言い伝え・・・。
それに気づき、書き出し、
研究の材料にすることから
民俗学は始まります。

民俗学入門です。

生涯学習としての

民俗学を勧めます。


究会代表 田野 登