1年近く前の記事ですが今頃になってやっとこさ続編です。

 

京都市のJR円町駅から少し離れた場所に大将軍八神社さんがあります。こちらの神社は御祭神はスサノオさんなのですが明治維新の廃仏毀釈の前は道教の大将軍をお祀りしていました。その為なのか境内の空気は日本の神祇を祀る神社と違って道教の神様の空気が流れています(個人的感想です)。でもってこちらの神社には宝物庫の「方徳殿」があります。先代の宮司さんの時に一度中を拝見させて頂いたことがあります。

 

方徳殿は通常時は非公開で5/1~5/5、11/1~11/5(その他の日は要問い合わせ)10時~16時のみ一般公開されます(有料)。それで、ここには現代ではあまり見られない神像が沢山(80体)集まっています。これらの神像なのですが手のない像がかなり多いのです。何故手がないのかという理由ですが一番可能性が高いのが発遣(魂抜き)を行った後に用済みとして神像や仏像の手や持物を折ってしまうんです。廃仏毀釈の時に発遣されて打ち捨てられた神像がここに集まったと思われます。それじゃ宝物庫に集められた神像はただのオブジェかと言うとそうではなくて魂が入っています(私が見せてもらった時は神域になっていました)。

 

それで手のない神像なのですが体の一部が欠けていると何か影響があるのかと言いますと神威が衰えるんです(減衰)。大将軍八神社さんでは復元作業は行われないようですが(今となっては元の手の形は判らないでしょう)、祀られている仏像の体や持物が損壊すると障りがでることがあるんです(神仏によっては修理の催促をされるようです)。

 

痛んだ仏像の修理や神殿やお堂の修理を行うのはお祀りされている神仏の神威を増し、清浄を保つ事に繋がります(積善)。そういう訳で私のブログの中では神社の本殿や寺院のお堂、仏像の修理の勧進をお勧めしています。

 

因みに砂澤たまゑさんのお弟子であった神之公園さんのブログのコメントで教えてもらったのですが、とある仏像を砂澤先生の信者さんがお祀りしたかったそうなのですが、そのままでは強すぎて一般人のその信者さんが祀れないので砂澤先生はわざと仏像の持物を折って神威を下げて、その信者さんがお祀り出来るようにしたそうです(普通の人はやっちゃだめですよ。オダイさんの砂澤先生だからできた事です)。

 

お寺で祀っておられるような大きな仏像や小さくても長期間拝まれているような仏像を一般人がお祀りするのはとても大変なのです。祀り切れなくて(鎮められなくて)家の中が落ち着かなくなったり家庭内トラブルが多発する場合があります。紙札や祈祷札は一般家庭でも問題なくお祀りできますが尊像(仏像・神像)を勧請するのはよくよく考えて慎重にね。と私が言うのはそういう理由もあるんです。